立冬。もう冬か。何の根拠もないけれど、今季は寒くなりそうな。(哲




2013ソスN11ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 07112013

 剃刀の刃が落ちて浮く冬の水

                           田川飛旅子

い剃刀の替刃が冬の水に浮いている。ただそれだけの様子なのだが心に残る。剃刀が落ちて浮くのは「春の水」でも「秋水」や「夏の河」ではなく「冬の水」というのがこの句の眼目なのだろう。「冬の水一枝の影も欺かず」と草田男の有名な句があるが、冬の水は澄んではいるが動きが少なく、水自体は重たい印象だ。掲句では剃刀の刃の鋭さがそのまま冬の空気の冷たさを感じさせる。そして、浮いている剃刀の単なる描写ではなく「落ちて浮く」とした動きの表現で冬の水の鈍重さも同時に伝える、相反する要素を水に浮く剃刀に集中させて詠み、蕭条とした冬そのものを具体化している。『田川飛旅子選句集』(2013)所収。(三宅やよい)


November 06112013

 モカ飲んでしぐれの舗道別れけり

                           丸山 薫

ごろの時季にサッと降ってサッとあがる雨が「しぐれ(時雨)」である。「小夜時雨」「月時雨」「山めぐり」他、歳時記には多くの傍題が載っている。それだけ日本人にとって身近な天候であり、親しまれている季語であるということ。しぐれは古書にもあるように「いかにももの寂しく曇りがちにして、軒にも雫の絶えぬ体……」(『滑稽雑談』)といった風情が、俳句ではひろく好まれるようで、数多く詠まれている。丸山薫には俳句は少ないようだが、「モカ」にはじまって「しぐれ」「舗道」とくるあたり、どこかロマンを感じさせる道具立てである。詠まれている通り、何やら長時間モカコーヒーを飲みながら話しこみ、しぐれで濡れている舗道で淋しく別れたのである。若い男女であろう。題材も詠み方もとりたてて変哲がある句とは言えないけれど、これはこれでさらりと詠まれていてよろしいではないか。「モカ」というと、どうしても寺山修司の歌「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」を避けて通れない。芥川龍之介の句に「柚落ちて明るき土や夕時雨」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 05112013

 眼帯の中の目ぬくし黄落期

                           角谷昌子

謝野晶子が「金色の小さき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」と詠んだように、銀杏を代表する鮮やかな黄色の落葉は、見慣れた場所を忘れさせるような美しさがある。まだ青みが残る頭上の空、赤く染まる地平線、そして舞い散る金色の落葉。まるでクリムトの世界に閉じ込められたような色づかいである。一方、掲句は一面の黄落のなかにいて、光りを遮断し刺激から守られた眼帯の奥にぬくみを感じる。そのあたたかさは眼帯のやわらかな布に守られたしずかに閉じたまなこの存在に行き当たる。この豪奢に舞い落ちる幾百枚の黄金の葉のなか、かくも穏やかなまなこをわが身が蔵していることの不思議を思うのである。『地下水脈』(2013)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます