今日から伊勢丹デパートの紙袋のデザインが変わるそうだ。(哲




2013ソスN10ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 30102013

 人生これ二勝一敗野分あと

                           斉藤凡太

太(本名:房太郎)は、新潟県出雲崎で十三歳からずっと漁業に従事している人で、八十七歳の達者な現役漁師。台風で舟が壊れて漁業をやめようと思ったが、「これは人生のうちの一敗。一つぐらい勝ち越したい」と本人が念じての「二勝一敗」である。よけいに欲張らずに、あくまでも現役の骨太く力強い決意の句ではないか。「人間生きているうちは夢を持て」と日頃おのれを鼓舞しているという、説得力をもった一句である。七十歳のとき奥さんを亡くしてから、町の句会に入会したという。今や「新潟日報」紙・毎週の俳壇(選者:黒田杏子)の常連で、熱心に投稿して高い成績をおさめ、注目されている。「年を取って、転ばないように支えてくれるのは杖。俳句も杖のようなもの」と述懐する。今年の「新潟日報・俳壇賞」(10月)で、最高入賞を果たした凡太の句は「つばめ来てわれに微笑む日の光」だった。他に「海鳴りもうれしく聞ゆ雪解風」という漁師らしい句もある。句集に『磯見漁師』がある。「ラジオ深夜便」(2013年10月号)所載。(八木忠栄)


October 29102013

 長き夜の外せば重き耳飾

                           長嶺千晶

中身につけているときには感じられないが、取り外してみてはじめてその重さに気づくものがある。自宅に帰って、靴を脱ぐ次の行為は、イヤリング、腕時計の順であろう。化粧や服装などと同様、女の身だしなみであるとともに外部との武装でもあることを考えれば、昼間はその重みがかえって心地よいものに思えるのかもしれない。装飾品を取り外しながら、ひとつずつ枷を外していく解放感と同時にむきだしになることの心細さも押し寄せる。深々としずかな闇だけが、女の不安をやわらげることができるのだ。『雁の雫』(2013)所収。(土肥あき子)


October 28102013

 霜柱土の中まで日が射して

                           矢島渚男

を読んで、すぐに田舎の小学校に通ったころのことを思い出した。渚男句を読む楽しみの一つは、多くの句が山村の自然に結びついているために、このようにふっと懐かしい光景の中に連れていってくれるところだ。カーンと晴れ上がった冬の早朝、霜柱で盛り上がった土を踏む、あの感触。ザリザリともザクザクとも形容できるが、靴などは手に入らなかった時代だったから、そんな音を立てながら下駄ばきで通った、あの冷たい記憶がよみがえってくる。ただ、子供は観照の態度とはほとんど無縁だから、よく晴れてはいても、句のように日射しの行く手まで見ることはしない。見たとしても、それをこのように感性的に定着することはできない。ここに子供と大人の目の働きの違いがある。だからこの句に接して、私などははじめて、そう言われればまぶしい朝日の光が、鋭く土の中にまで届いている感じがしたっけなあと、気がつくのである。『延年』(2002)所収。(清水哲男)




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