巨人よ、きみは強かった。オモシロクナイケレド、シヨウガナイ。(哲




2013ソスN10ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 19102013

 打てばひゞくわれと思ふや秋の風

                           久保よりゑ

らを、打てば響く、とはなかなか言えないだろう、自信家だったのかと最初は思った。事実、そういう側面も持っていた作者であるようだ。大正十四年、四十代初めの作だが『ホトトギス雑詠選集 秋の部』(1987・朝日文庫)の中でも『虚子編歳時記』の中でも、秋風の項にあって趣の異なる一句である。ただ、何度か読み返していると、打てば響く自分を打って欲しい、どうして打ってくれないのか、と言っているようにも思えてくる。はげしくあらく、身にしみてあはれをそふる、という秋風。その中に身を置きながら何を思っていたのだろう。(今井肖子)


October 18102013

 蓑虫にうすうす目鼻ありにけり

                           波多野爽波

波の代表作だが、そもそも、蓑虫に目鼻はあるのだろうか。ネットで調べて見ると、次のようにある。「実は蓑虫は子孫を残すためだけに羽化するため、ミノガに口はなく、餌を食べることはありません。一方、メスはいつまでたっても羽化しません。実は雌は完全に卵を産むためだけの成虫になるため、手足はおろか、目などの感覚器すらありません。」。意外な事実である。しかしながら、爽波が見たのが、雄の蓑虫ならば、目があっても不思議はなかろう。そんなことよりも、この句の詩的真実が訴えかけてくるのは、蓑虫という小動物への作者の親近感である。「うすうす目鼻ありにけり」という細かな観察眼は、確かに、蓑虫の目鼻を捉えた。そう読者に思わせるところがある。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


October 17102013

 大学に羊生まれぬ秋の風

                           押野 裕

学になぜ羊がいるのだろう?農学部の牧場なのかドリーのように実験用の羊なのか。この句の眼目は羊が生まれた場所と季節だと思うが、普通羊は秋に交配時期が来て春に生まれる。とすると、この子羊は「大学」で何らかの処置をほどこされた親羊から生まれたのではないだろうか。そう考えると秋生まれの羊が人工的で華奢な存在に思われる。春に生まれた動物は気温も高くなり食べ物も豊富に育つが、秋生まれの子羊には厳しい生活環境がすぐやってくる。野良猫の場合も秋生まれの仔猫はほとんどが死んでしまうそうだ。これからの寒さの予感を感じさせる秋風のあわれさが子羊の存在の弱弱しさを暗示しているように思われる。『雲の座』(2011)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます