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2013ソスN10ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 17102013

 大学に羊生まれぬ秋の風

                           押野 裕

学になぜ羊がいるのだろう?農学部の牧場なのかドリーのように実験用の羊なのか。この句の眼目は羊が生まれた場所と季節だと思うが、普通羊は秋に交配時期が来て春に生まれる。とすると、この子羊は「大学」で何らかの処置をほどこされた親羊から生まれたのではないだろうか。そう考えると秋生まれの羊が人工的で華奢な存在に思われる。春に生まれた動物は気温も高くなり食べ物も豊富に育つが、秋生まれの子羊には厳しい生活環境がすぐやってくる。野良猫の場合も秋生まれの仔猫はほとんどが死んでしまうそうだ。これからの寒さの予感を感じさせる秋風のあわれさが子羊の存在の弱弱しさを暗示しているように思われる。『雲の座』(2011)所収。(三宅やよい)


October 16102013

 来るわ来るわ扱(こ)くあとへ稲を引担(ひつかつ)ぎ

                           泉 鏡花

々稲刈りは機械化し、時期も早くなっているようだ。だから、今の時期はもう晩稲もとっくに米粒となっておさまっているだろう。しかし、あの鏡花にしてこの滑稽味あふれる一句を、ここでとりあげておきたい。「扱く」は「脱穀」のことで、機械が籾を扱く。「稲扱き」とも呼ばれる。掲句は稲扱きの作業風景を詠んでいる。私などは農家の子として、田植えに始まって、稲刈り、稲扱きまで手伝わされたから、この句にはどうしても心が寄ってしまう。作業場に高く積み上げられた稲が、脱穀機のそ脇に次々に運ばれてくる。脇に立ってそれを脱穀械で扱く父親に一束ずつ突き出すのが、私の役割だった。機械から撒きあがる細かい稲塵が首のあたりから入るから、チクチクしてたまらなくせつない。でも稲の山はなかなか減らない。夜の作業だとチクチクするやら眠いやら。「来るわ来るわ」に始まって、「引担ぎ」で止めるまで、鏡花にしては滑稽味あふれる描写である。「引担ぎ」に作業のリアリティーがこめられていて、しかも可笑しさが感じられる表現だ。つい自分の子どもの頃のしんどかった作業経験を重ねてしまったけれど、今は田んぼで機械が稲を刈り取り、一挙に籾にして袋詰めしてしまう。あの忘れもしないチクチクは、今や昔のモノガタリ。鏡花には他に「片時雨杉葉かけたる軒暗し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 15102013

 終の家と思へば匂ふ榠樝の実

                           井上ひろ子

ままな一人暮らしのときは、たびたび引越しを重ねていた。それは気分転換のひとつでもあり、新しい洋服を買うような気軽さだったが、結婚して現在の家に移ってからは18年間ずっと同じ家に住んでいる。居心地が良いこともあるが、引越しそのものが面倒になったのだ。長く生きていればいるほど、荷物は増える。それを整理し、分類し、始末する労力と割かれる時間がどうにも惜しくなったのだ。作者は今の家を見上げ、ふと、もう引っ越すことはないだろうな、と思う。それは年齢から余生の数字を換算する行為でもある。青空に貼り付くように実る鮮やかな果実が、この地に根をおろした自分の姿とも重なり、ひときわ愛おしく濃く匂うのだろう。『偏西風』(2013)所収。(土肥あき子)




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