September 282013
遠まきの星にまもられ今日の月
林さち子
台風が去って空が洗われ、今年は待宵から名月、十六夜と佳い月の日々が続いた。ことに満月の夜の東京は雲一つ無く、街の灯りがぼんやりと照らすあたりにはかすかな星が浮かんでいたが、月はひたすらな光を放ちながら天を巡っていった。そんな月を、孤高の月、ととらえて、月が星を遠ざけている、と言うとそれは思い入れの強いありがちな見方になるだろう。この句の作者はそんな月が、遠まきの星にまもられている、と言い、今日の月、と結ぶことで、長く人と親しんできた円かな月が浮かんでくる。〈さはりなく今宵の月のふけしかな〉と同じ作者の句が二句並んで『ホトトギス雑詠選集 秋の部』(1987・朝日新聞社)にある。昭和六年の作、作者について詳細は分からなかったが、あたたかい人柄を思わせる。(今井肖子)
September 272013
秋風に孤(ひと)つや妻のバスタオル
波多野爽波
秋風に妻のバスタオル、でも、寂しさは十分伝わるが、ここでは、あえて、「孤つ」と断っている。そのことによって、寂寥感は、いや増しに増す。一句に詠まれているのは、バスタオルであるが、単にバスタオルだけが描かれている句とは思えない。写生句を装いながら、作者の妻に対する日常の思いが、その背景に反映されているように思われる。そう考えれば、「孤つ」に籠められた心情も深い。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)
September 262013
ショーウィンドウのマネキン家族秋高し
山田露結
ショーウィンドウの中に母、父、男の子、女の子の家族が最新ファッションに身を包み、楽しそうに微笑みあっている。この頃はピクニックにも遊園地にも無縁な生活をしているので、昨今の家族がどのように休日を過ごしているのか、とんと疎くなってしまった。時々電車で見かける家族はショーウィンドウの中にいる家族のように上機嫌でもなく、おしゃべりも弾んでいないように見える。それが現実の家族で、気持ちのよい秋晴れに行楽地へ繰り出しても子供は駄々をこね、父と母はささいなことで怒りだすこともしばしば。せっかくの休日が出かけたことで台無しになることだったあるのだ。ウインドウの中の家族は葛藤がない、身ぎれいなマネキンの家族と澄み切った秋空は空々しい明るさで通い合っているように思える。『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(三宅やよい)
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