今宵は中秋の名月。全国的に天気はよさそうだからよく見えそう。(哲




2013ソスN9ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1992013

 雀蛾に小豆の煮えてゐる匂ひ

                           ふけとしこ

に「イモムシ」と呼ばれるものは雀蛾の幼虫のようである。雀蛾の幼虫は地中にもぐって蛹になり、独特の三角形の翅をもつ成虫に羽化するという。以上はネットで得た雑駁な情報だけど、何より「雀蛾」という名前が魅力的だ。色鮮やかな蝶にくらべ夜間活動する蛾は色も地味であまり歓迎されない。掲句では、迷い込んだ雀蛾が台所のどこかに止まっているのだろう。蛾は蝶のように翅をたたまない。水平に翅を広げたままじっとしている雀蛾は壁に展翅されたように見える。そんな雀蛾に暗赤色の小豆が煮える匂いがしみ込んでゆく。何気ない日常の情景だが夏から秋へとゆっくり変わってゆく夜の時間と秋の色彩を感じさせる佳句だと思う。「ほたる通信 II」(2012.10)所収。(三宅やよい)


September 1892013

 いささかのしあわせにゐて秋燈

                           安藤鶴夫

月中旬くらいまでは残暑がつづく。これは酷暑の連続だった今年に限ったことではなく、例年のことであると言っていい。歳時記では「秋燈(あきともし)」とならんで「燈火親しむ」がある。同じあかりでも、大気が澄んできて少々涼しさが感じられてくる秋は、あたりの静けさも増して、ようやく心地よい季節である。秋燈はホッとできるあかりである。掲句の場合、身に余るような大袈裟な「しあわせ」ではなく、庶民にふさわしい「いささか=ちょいとばかり」だが、うれしい幸せ感なのであろう。その幸せの中身は何であれ、秋のあかりのもとにいると、どことなくうれしさが感じられるということであろう。『巷談本牧亭』(直木賞受賞)や『寄席紳士録』などの名著のある“あんつる”さんの仕事を、江國滋は「含羞の文学」と評し、「詩人である」とも指摘していた。掲出句はいかにもそう呼ばれた作家にふさわしい、ほのぼのとした一句ではないか。他に「とりとめしいのちをけふは草の市」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 1792013

 高稲架やひとつ開けたるくぐり口

                           染谷秀雄

穂の波が刈り取られ、乾燥させるために稲架を組む。5段も組めば大人の身長はゆうに越え、規則正しく組まれた黄金の巨大な壁が出来あがる。一面の青田も、稲穂も、そして稲架もあまりに広大すぎると、まるでもとからそこにあったかのように景色に溶け込んでしまうが、高稲架にくぐり口を見つけた途端、ここを行き来する人の生活が飛び込んでくる。この広大なしろものが、すべて人の手によるものであったことに気づかされる。ひ弱な苗から立派な稲穂になるまでの長い日々が、そのくぐり口からどっと押し寄せてくる。苦労や奮闘の果ての人間の暮らしが、美しく懐かしい日本の風景として見る者の胸に迫る。〈月今宵赤子上手に坐りたる〉〈鳥籠に鳥居らず吊る豊の秋〉『灌流』(2013)所収。(土肥あき子)




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