またまた東京は「工事中」だらけになるぞ。五輪招致のツケ。(哲




2013ソスN9ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1092013

 羊羹の夜長の色を切りにけり

                           川名将義

暑がどれほど長い尾を引いていようと、日がずいぶんと短くなったことだけは確かだ。本日の東京の日の出は午前5時20分、日の入りは午後5時56分と、夏至の頃と比べると日の出は一時間遅く、日の入りは一時間早くなった。実際にもっとも夜が長くなる冬至だが、夜長という言葉はこの時期のほんの少し前とのギャップが思わせるもので、夜そのものに抱くイメージもさみしさより懐かしさを募らせるものだ。掲句は羊羹を前にして、夜長の色という。たしかに切り分けるときのねっちりとした手応えと、漆黒というより小豆の赤みを凝縮した暗色に覚える安らぎは、長い夏を終えたというひとごこちが思わせるものだろう。いつもは敬遠している強烈な甘さも、長い夜を楽しむための濃いお茶とともに、一切れ欲しくなる夜である。『海嶺』(2013)所収。(土肥あき子)


September 0992013

 熊笹に濁流の跡いわし雲

                           矢島渚男

雲の代表格である「いわし雲」は、気象学的には絹積雲(けんせきうん)と言うそうだ。美しいネーミングである。句は、台風一過の情景だろうか。地上では風雨になぎ倒された熊笹の姿がいたいたしいが、目を上げると、真っ青な空にいわし雲がたなびくようにして浮かんでいる。私も山の子なので、この情景は何度も目にしている。目に沁みるような美しさだ。なんでない表現のようだが、作者は雲の表し方をよく心得ている。雲を描くときの基本は、まさにこうでなければならない。すなわち、この句の「いわし雲」のありようを裏づけているのは、泥にまみれた「熊笹」だ。この両者の存在があってはじめて「いわし雲」の美しさはリアリティを獲得できている。『采薇』(1973)所収。(清水哲男)


September 0892013

 秋風やそのつもりなくまた眠り

                           久保田万太郎

眠なら孟浩然以来の常套句ですが、秋の眠りは実情に即しています。万太郎は、昭和36年4月21日に入院。糖尿病治療の後、5月25日、胃潰瘍の開腹手術をします。その後、六月にひとまず退院。七月と八月に再三入院して、退院後、箱根で静養しているときの句で、「病後」という前書があります。冷房設備の整っていない時代、夏場を病床で過ごす実情は過酷です。暑さと寝汗で目覚める夜もあり、健康な人も、療養中の人も、寝不足を溜めて、ようやく秋を迎えられたでしょう。掲句は、そんな身体のすこやかな反応です。稲穂や草木をなでて吹く風を古語で上風(うわかぜ)といいますが、この秋風は、病身をふたたび眠りにいざなうそれだったのでしょう。『万太郎俳句評釈』(2002)所収。(小笠原高志)




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