2013ソスN9ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0892013

 秋風やそのつもりなくまた眠り

                           久保田万太郎

眠なら孟浩然以来の常套句ですが、秋の眠りは実情に即しています。万太郎は、昭和36年4月21日に入院。糖尿病治療の後、5月25日、胃潰瘍の開腹手術をします。その後、六月にひとまず退院。七月と八月に再三入院して、退院後、箱根で静養しているときの句で、「病後」という前書があります。冷房設備の整っていない時代、夏場を病床で過ごす実情は過酷です。暑さと寝汗で目覚める夜もあり、健康な人も、療養中の人も、寝不足を溜めて、ようやく秋を迎えられたでしょう。掲句は、そんな身体のすこやかな反応です。稲穂や草木をなでて吹く風を古語で上風(うわかぜ)といいますが、この秋風は、病身をふたたび眠りにいざなうそれだったのでしょう。『万太郎俳句評釈』(2002)所収。(小笠原高志)


September 0792013

 さりさりと梨むくゆびに朝匂ふ

                           清水 昶

朝も梨をむいた、いただき物の二十世紀梨。とにかく早く食べないと日に日に味が落ちてしまう、とばかりどんどんむいて食べ、母や妹のところに持っていき、残りは保存容器に入れて冷蔵庫に。暑い中帰宅して食べると、冷やしすぎで甘みは落ちているかもしれないが、みずみずしくて美味しい。さりさり、は梨を食べている感じだが、この句の梨は、さりさりと剥かれている。私など急いでいるからさっさと四等分して芯を取ってしまうが、この梨は包丁を皮と実の間にうすく入れられながら、ゆっくり回っているのだ。その清々しい香りを、朝匂ふ、と詠んだ作者は、隣で梨を剥く妻の指をじっと見ているのかもしれない。平成十二年九月十二日の作。『俳句航海日誌 清水昶句集』(2013)所収。(今井肖子)


September 0692013

 夕方の顔が爽やか吉野の子

                           波多野爽波

方の顔、とあるので、下校途中か、帰宅への道であろうか。解放感にあふれた子供の様子がうかがえる。「吉野」は、もちろん奈良県吉野郡吉野町。春の吉野は花のため人々でにぎわうが、この句は、秋の吉野。春のような喧騒はなく、静かで落ちついている。吉野の山のたたずまいも感じられて、風土の爽快感が一句の雰囲気を、より爽やかなものにしている。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)




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