やっと秋と呼んでもよい季節になってきたかな。長かった夏。(哲




2013ソスN9ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0792013

 さりさりと梨むくゆびに朝匂ふ

                           清水 昶

朝も梨をむいた、いただき物の二十世紀梨。とにかく早く食べないと日に日に味が落ちてしまう、とばかりどんどんむいて食べ、母や妹のところに持っていき、残りは保存容器に入れて冷蔵庫に。暑い中帰宅して食べると、冷やしすぎで甘みは落ちているかもしれないが、みずみずしくて美味しい。さりさり、は梨を食べている感じだが、この句の梨は、さりさりと剥かれている。私など急いでいるからさっさと四等分して芯を取ってしまうが、この梨は包丁を皮と実の間にうすく入れられながら、ゆっくり回っているのだ。その清々しい香りを、朝匂ふ、と詠んだ作者は、隣で梨を剥く妻の指をじっと見ているのかもしれない。平成十二年九月十二日の作。『俳句航海日誌 清水昶句集』(2013)所収。(今井肖子)


September 0692013

 夕方の顔が爽やか吉野の子

                           波多野爽波

方の顔、とあるので、下校途中か、帰宅への道であろうか。解放感にあふれた子供の様子がうかがえる。「吉野」は、もちろん奈良県吉野郡吉野町。春の吉野は花のため人々でにぎわうが、この句は、秋の吉野。春のような喧騒はなく、静かで落ちついている。吉野の山のたたずまいも感じられて、風土の爽快感が一句の雰囲気を、より爽やかなものにしている。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


September 0592013

 西空にして雷神の快楽(けらく)萎え

                           馬場駿吉

年の夏の暑さは尋常ではなかった。40度近い気温に温められた空気が上昇し規模の大きな積乱雲となり、恐ろしいほどの夕立と雷鳴に襲われた日も多かった。今までに経験した雷は空が暗くなるにしたがって、遠くから少しずつ音が近づいてきて、まず先触れのように夕立が降りだしピカッと空が光るのと雷の音がだんだんと誤差がなくなってくる。光ってから、「いち、にい、さん」と雷と自分がいる場所の近さを測ったものだった。しかし今年はとんでもない量の雨が降りだすのも突然だし、間合いもおかず雷が頭上で暴れ出す激しさだった。思い切り雷鳴を轟かす、あれが「雷神の快楽」というものだろうか。「天気が変わるのは西から」とむかし教えてもらったことがある。西空が明るんできて、雨の勢いも弱ってゆく。秋の訪れとともに雷神のお楽しみもそろそろ終わりと言ったところだろうか。『幻視の博物誌』(2001)所収。(三宅やよい)




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