September 062013
夕方の顔が爽やか吉野の子
波多野爽波
夕方の顔、とあるので、下校途中か、帰宅への道であろうか。解放感にあふれた子供の様子がうかがえる。「吉野」は、もちろん奈良県吉野郡吉野町。春の吉野は花のため人々でにぎわうが、この句は、秋の吉野。春のような喧騒はなく、静かで落ちついている。吉野の山のたたずまいも感じられて、風土の爽快感が一句の雰囲気を、より爽やかなものにしている。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)
September 052013
西空にして雷神の快楽(けらく)萎え
馬場駿吉
今年の夏の暑さは尋常ではなかった。40度近い気温に温められた空気が上昇し規模の大きな積乱雲となり、恐ろしいほどの夕立と雷鳴に襲われた日も多かった。今までに経験した雷は空が暗くなるにしたがって、遠くから少しずつ音が近づいてきて、まず先触れのように夕立が降りだしピカッと空が光るのと雷の音がだんだんと誤差がなくなってくる。光ってから、「いち、にい、さん」と雷と自分がいる場所の近さを測ったものだった。しかし今年はとんでもない量の雨が降りだすのも突然だし、間合いもおかず雷が頭上で暴れ出す激しさだった。思い切り雷鳴を轟かす、あれが「雷神の快楽」というものだろうか。「天気が変わるのは西から」とむかし教えてもらったことがある。西空が明るんできて、雨の勢いも弱ってゆく。秋の訪れとともに雷神のお楽しみもそろそろ終わりと言ったところだろうか。『幻視の博物誌』(2001)所収。(三宅やよい)
September 042013
橋多き深川に来て月の雨
永井龍男
深川…江東区一帯には河川や運河が多い。したがって橋の数もどれほどあるのか詳しくは知らないけれど、大小とりまぜて多いはずである。まだ下町情緒が濃く残っていた時代、月をめでながら一杯やろうと意気ごんで深川へやって来たのだろう。ところが、あいにく雨に降られてせっかくの名月が見られない。あるいは雨はこやみになって、月かげがかすかに見えているのかもしれない。そうした情緒も捨てたものではないだろうけれど、やはりくっきりとした名月を眺めたいのが人情。下五を「雨月かな」とか「雨の月」などと、文字通り月並みにおさめずに「月の雨」としたことで、句がグンと引き締まった。口惜しさも嫌味なくにじんでいる。「秋の暮」ではなく「暮の秋」とするといった伝である。龍男の句は多いが、月を詠んだものに「月知らぬごとく留守居をしてゐしが」「月の沓萩の花屑辺りまで」などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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