2013N9句

September 0192013

 海風に筒抜けられて居るいつも一人

                           尾崎放哉

正十四年八月二十四日。放哉は、小豆島、南郷庵に入ります。翌年、四月七日午後八時、ここで死去。享年四十二。この七ヶ月半に残されたのは、二百二句。庵の入り口の石段を三つ四つ上ると、低い塀の上に大松が一本枝を垂れていて、この大松の根方に、荻原井泉水筆の「入れものが無い両手で受ける」の小さな句碑があります。『入庵雑記・海』冒頭を抜粋すると「庵に帰れば松籟颯々、、至つてがらんとしたものであります。芭蕉が弟子の句空に送りました句に『秋の色糠味噌壺も無かりけり』とあります。、、全くこの庵にも、糠味噌壺一つ無いのであります。、、時々、ふとした調子で、自分はたつた一人なのかな、と云ふ感じに染々と襲はれることであります。八畳の座敷の南よりの、か細い一本の柱に、たつた一つの脊をよせかけて、其前に、お寺から拝借して来た小さい低い四角な机を一つ置いて、、一日中、朝から黙つて一人で坐つて居ります。」文中の「一人、一つの、一つ、一日中、一人」という単数形に、詩人を生きた証を読みます。掲句は「海風に筒抜けられて居る」で切れます。人は、口から肛門までが一本の管ですが、放哉は、自身を一本の筒ととらえ、海風が自身の内側をなでて通過する実感で、自身が「居る」ことを確かめています。『笈の小文』の風羅坊が、また一人、ここで海風を受けて居ます。『尾崎放哉全集』(1972)所収。(小笠原高志)


September 0292013

 こときれてゆく夕凪のごときもの

                           五十嵐秀彦

集では、この句の前に「眠りつつ崩るる夏や父の肺」が置かれているので、同じく父上の末期の様子を詠んだものだろう。島崎藤村が瀕死の床にあった田山花袋に「おい、死ぬってどんな心持ちだ」と呼びかけた話が残っているが、私も年齢のせいで人の死に際には関心が高くなってきた。夢の中で自分の死をシミュレートしていることに、はっと気づいて目覚めたりもする。夏の夕暮れの海岸地域では、海からの風が嘘のようにぱたっと落ちて、息詰まるような暑さに見舞われるが、人生の最後にもまたそのような状態になるのだろうか。つまり、傍目には死の病の苦しみがばたっと止んだように見え、しかし高熱だけは残っていて、そこから死が徐々に確実に忍び寄ってくる。と、作者にはそう思えたのだ。他者の死にはこれ以上深入りできないわけだが、この「風立ちぬ いざ生きめやも」とは正反対のベクトルがはっきりしているという意味で、私にとっては印象深い抒情句となった。『無量』(2013)所収。(清水哲男)


September 0392013

 秋の日に干す沖海女の命綱

                           桑原立生

女には「磯海女」と「沖海女」があり、磯海女は比較的浅い海を潜るため一人でも可能だが、沖海女は船で沖に出てからの作業なので、船を操り、合図を送る相手が必要となる。海女は海中の作業のなか、呼吸の限界で浮上の合図を船上へと送り、合図を感じたらパートナーは命綱を一気に引き上げる。20メートルにもなるという命綱を引き上げるには、わずかなタイミングが命取りになるため、命綱の多くは家族が担当するという。文字通り命をつなぐ綱の実物は驚くほど華奢である。透き通るような秋の日差しのなか、干されるなんのへんてつもないロープの名が命綱だと知った瞬間、それはかけがえのないものとなる。へその緒という命綱で母とつながっていた彼方の記憶が、ふと脳裏をよぎる。『寒の水』(2013)所収。(土肥あき子)


September 0492013

 橋多き深川に来て月の雨

                           永井龍男

川…江東区一帯には河川や運河が多い。したがって橋の数もどれほどあるのか詳しくは知らないけれど、大小とりまぜて多いはずである。まだ下町情緒が濃く残っていた時代、月をめでながら一杯やろうと意気ごんで深川へやって来たのだろう。ところが、あいにく雨に降られてせっかくの名月が見られない。あるいは雨はこやみになって、月かげがかすかに見えているのかもしれない。そうした情緒も捨てたものではないだろうけれど、やはりくっきりとした名月を眺めたいのが人情。下五を「雨月かな」とか「雨の月」などと、文字通り月並みにおさめずに「月の雨」としたことで、句がグンと引き締まった。口惜しさも嫌味なくにじんでいる。「秋の暮」ではなく「暮の秋」とするといった伝である。龍男の句は多いが、月を詠んだものに「月知らぬごとく留守居をしてゐしが」「月の沓萩の花屑辺りまで」などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 0592013

 西空にして雷神の快楽(けらく)萎え

                           馬場駿吉

年の夏の暑さは尋常ではなかった。40度近い気温に温められた空気が上昇し規模の大きな積乱雲となり、恐ろしいほどの夕立と雷鳴に襲われた日も多かった。今までに経験した雷は空が暗くなるにしたがって、遠くから少しずつ音が近づいてきて、まず先触れのように夕立が降りだしピカッと空が光るのと雷の音がだんだんと誤差がなくなってくる。光ってから、「いち、にい、さん」と雷と自分がいる場所の近さを測ったものだった。しかし今年はとんでもない量の雨が降りだすのも突然だし、間合いもおかず雷が頭上で暴れ出す激しさだった。思い切り雷鳴を轟かす、あれが「雷神の快楽」というものだろうか。「天気が変わるのは西から」とむかし教えてもらったことがある。西空が明るんできて、雨の勢いも弱ってゆく。秋の訪れとともに雷神のお楽しみもそろそろ終わりと言ったところだろうか。『幻視の博物誌』(2001)所収。(三宅やよい)


September 0692013

 夕方の顔が爽やか吉野の子

                           波多野爽波

方の顔、とあるので、下校途中か、帰宅への道であろうか。解放感にあふれた子供の様子がうかがえる。「吉野」は、もちろん奈良県吉野郡吉野町。春の吉野は花のため人々でにぎわうが、この句は、秋の吉野。春のような喧騒はなく、静かで落ちついている。吉野の山のたたずまいも感じられて、風土の爽快感が一句の雰囲気を、より爽やかなものにしている。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


September 0792013

 さりさりと梨むくゆびに朝匂ふ

                           清水 昶

朝も梨をむいた、いただき物の二十世紀梨。とにかく早く食べないと日に日に味が落ちてしまう、とばかりどんどんむいて食べ、母や妹のところに持っていき、残りは保存容器に入れて冷蔵庫に。暑い中帰宅して食べると、冷やしすぎで甘みは落ちているかもしれないが、みずみずしくて美味しい。さりさり、は梨を食べている感じだが、この句の梨は、さりさりと剥かれている。私など急いでいるからさっさと四等分して芯を取ってしまうが、この梨は包丁を皮と実の間にうすく入れられながら、ゆっくり回っているのだ。その清々しい香りを、朝匂ふ、と詠んだ作者は、隣で梨を剥く妻の指をじっと見ているのかもしれない。平成十二年九月十二日の作。『俳句航海日誌 清水昶句集』(2013)所収。(今井肖子)


September 0892013

 秋風やそのつもりなくまた眠り

                           久保田万太郎

眠なら孟浩然以来の常套句ですが、秋の眠りは実情に即しています。万太郎は、昭和36年4月21日に入院。糖尿病治療の後、5月25日、胃潰瘍の開腹手術をします。その後、六月にひとまず退院。七月と八月に再三入院して、退院後、箱根で静養しているときの句で、「病後」という前書があります。冷房設備の整っていない時代、夏場を病床で過ごす実情は過酷です。暑さと寝汗で目覚める夜もあり、健康な人も、療養中の人も、寝不足を溜めて、ようやく秋を迎えられたでしょう。掲句は、そんな身体のすこやかな反応です。稲穂や草木をなでて吹く風を古語で上風(うわかぜ)といいますが、この秋風は、病身をふたたび眠りにいざなうそれだったのでしょう。『万太郎俳句評釈』(2002)所収。(小笠原高志)


September 0992013

 熊笹に濁流の跡いわし雲

                           矢島渚男

雲の代表格である「いわし雲」は、気象学的には絹積雲(けんせきうん)と言うそうだ。美しいネーミングである。句は、台風一過の情景だろうか。地上では風雨になぎ倒された熊笹の姿がいたいたしいが、目を上げると、真っ青な空にいわし雲がたなびくようにして浮かんでいる。私も山の子なので、この情景は何度も目にしている。目に沁みるような美しさだ。なんでない表現のようだが、作者は雲の表し方をよく心得ている。雲を描くときの基本は、まさにこうでなければならない。すなわち、この句の「いわし雲」のありようを裏づけているのは、泥にまみれた「熊笹」だ。この両者の存在があってはじめて「いわし雲」の美しさはリアリティを獲得できている。『采薇』(1973)所収。(清水哲男)


September 1092013

 羊羹の夜長の色を切りにけり

                           川名将義

暑がどれほど長い尾を引いていようと、日がずいぶんと短くなったことだけは確かだ。本日の東京の日の出は午前5時20分、日の入りは午後5時56分と、夏至の頃と比べると日の出は一時間遅く、日の入りは一時間早くなった。実際にもっとも夜が長くなる冬至だが、夜長という言葉はこの時期のほんの少し前とのギャップが思わせるもので、夜そのものに抱くイメージもさみしさより懐かしさを募らせるものだ。掲句は羊羹を前にして、夜長の色という。たしかに切り分けるときのねっちりとした手応えと、漆黒というより小豆の赤みを凝縮した暗色に覚える安らぎは、長い夏を終えたというひとごこちが思わせるものだろう。いつもは敬遠している強烈な甘さも、長い夜を楽しむための濃いお茶とともに、一切れ欲しくなる夜である。『海嶺』(2013)所収。(土肥あき子)


September 1192013

 かきくわりんくりからすうりさがひとり

                           瀬戸内寂聴

字を当てれば「柿榠樝栗烏瓜嵯峨一人」となろう。一読して誰もが気づくように、四つの果実の「K」音がこころよい響きで連続する。しかもすべて平仮名表記されたやわらかさ。京都・嵯峨野の寂庵に住まいする寂聴の偽りない静かな心境であろう。秋の果実が豊富にみのっている嵯峨にあって、ひとり庵をむすんでいることの寂寥感などではなく、みのりの秋のむしろ心のやすらかさ・感謝の気持ちがにじんでいる、と解釈すべきだろう。「さがひとり」の一言がそのことを過不足なく表現している。この句を引用している黒田杏子によれば、この俳句は「二十数年も前にNHKハイビジョンの番組で画面に大きく出た」もので、愛唱している女性が何人もいるという。寂聴は高齢にもかかわらず、今も幅広く精力的に活躍している人だが、杏子は昭和六十年以来、寂庵での「あんず句会」の第一回から選者・講師をつとめて親交を結んでいる。寂聴句のことを「その俳句も私俳句であり、世にいう文人俳句という分類にははまらない」と指摘している。寂聴句には他に「御山(おんやま)のひとりに深き花の闇」がある。黒田杏子『手紙歳時記』(2012)所載。(八木忠栄)


September 1292013

 新涼や夕餉に外す腕時計

                           五十嵐秀彦

井隆の『静かな生活』に「腕時計せぬ日しばしば手首みる小人(こびと)がそこにゐた筈なんだ」という一首がある。腕時計は毎日仕事にゆく生活をしている人にはなくてはならない小道具。分割された時間に動く自分を縛るものでもある。岡井の短歌は手首で時を刻む腕時計そのものを勤勉な小人の働く場所と見立てのだろうが、「腕時計」をはずすときは自分の時間を取り戻すときでもある。掲句では、家族とともに囲む夕餉に腕時計をはずす、その行為自体に新涼の爽やかさを感じさせる。腕時計と言えばベルトも革製のものとメタルのものがあるが、少し重さを感じさせるメタルの質感がこの句の雰囲気にはあっているように思う。昼の暑さが去り、めっきり涼しくなった夕餉時、ひと仕事終えた解放感とともに、食卓に整えられた料理への食欲も増すようである。『無量』(2013)所収。(三宅やよい)


September 1392013

 夜の湖の暗きを流れ桐一葉

                           波多野爽波

の句には、爽波の自註がある。作句工房がうかがえて、面白い。「真っ暗な湖上をいくら眺めすかして見ても、はるかの沖を流れる桐の一葉など目に入る筈がない。その場で確かに見たのは(略)湖の渚に流れつき漂い浮かぶ一枚の桐の一葉そのものだった。」(『波多野爽波全集』第三巻)実際に目にしたのは、湖畔に流れ着いた桐の葉が、たぷたぷ、渚に漂っている様子だったのだ。また、次のようにも述べている。「湖畔の燈火の下にもまれ漂う桐の一葉に目を凝らしているとき、初秋の湖の殊のほかの暗さを想い、目の前のここの桐の一葉から暗闇の湖上はるかを可成りの速度で流れ続けているであろう、かしこの桐の一葉を瞬時にまなうらに見て取ったのである。」(同)夜の湖を流れている桐の葉は、爽波の心の目が見たものだった。眼前の桐の葉は、湖中の桐の葉に飛躍し、そのイメージは瞬間的に、心の中を過ぎったのである。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


September 1492013

 かたすみのかたいすすきを描く絵筆

                           宮本佳世乃

週はじめ、小さい向日葵とすすきが数本ずつの花束が花屋の店先に。暑さが残りながらも秋めいてきた今時分らしいようにも思えて買い求めた。一緒に投げ入れてみるとなかなかおもしろく、すすきの穂はまだ硬いけれどふれるとなめらかで、窓際に置くと空を恋うように光って揺れる。来週の名月までは持たないなと思いながら本棚の俳誌をめくっていたら掲出句が目に止まった。まず一叢のすすきがありありと見えて、それから細い絵筆がすっすっと動き次々にすすきのかたちが生まれてゆくのが見えてくる。揺れるすすき、絵の中のすすき、絵筆の先、それぞれの曲線が美しい。俳誌「豆の木」(2012年4月・16号)所載。(今井肖子)


September 1592013

 秋の山一つ一つに夕哉

                           小林一茶

化二(1805)年、43歳の作。一茶が北信濃柏原に帰郷定着するのが文化九年、50歳で、その間、江戸・柏原往復を六回。双方に拠点を作ります。その後、三度結婚するのだから強い。掲句の秋の山は、旅の途上か郷里の山か。一日の終わりに、じっと佇んでいるとき、まだ色づき始めてはいない秋の山を、東から西へ、一つ、一つ夕(ゆふべ)の茜色に染めていく、その色合いの変化。それは、色彩が変化する様を、ダイナミックな日時計のように視覚化した情景です。一方、同じ文化二年に「木つつきや一つ所に日の暮るる」があり、夕(ゆふべ)の一茶は視点が動いていったのに対し、「日の暮るる」一茶の視点は、一つ所に目を遣っています。「木つつき」の音の向こうは、日暮れから闇へと移り変わっていく時の経過です。さらに、寛政年間、たぶん30歳頃の作、「夕日影町一ぱいのとんぼ哉」。村ではなくて町なので江戸でしょう。夕日を浴びて、赤とんぼは深紅です。夜は漆黒の闇であった時代、夕日、夕(ゆふべ)、日暮れの光と色は違っていたことを、一茶の目は伝えています。『一茶俳句集』(1958・岩波文庫)所収。(小笠原高志)


September 1692013

 老人の暇おそろしや鷦鷯

                           矢島渚男

景としては、老人がのんびりとした風情で日向ぼこでもしている図だろう。付近では「鷦鷯(みそさざい)」が、小さな体に似合わぬ大きな声でなにやら啼きつづけている。静かな老人とは好対照だ。ここまではよいとして、では「暇おそろしや」とは何だろう。作者には、何がおそろしいのだろうか。作句時の作者は五十代。そろそろ老いを意識しはじめる年代だ。みずからの老いに思いがゆきはじめると、自然の成り行きで周辺の老人に目がとまるようになる。詳細に観察するわけでもないけれど、一見暇をもて余しているように見える老人が、実は案外そうでもないらしいとわかってくる。老人がたまさか見せる微細な表情の変化に、彼がときにはまったくの好々爺であったり、逆に憤怒の塊であったりと、さまざまな感情が渦巻いている存在であることに気づくのである。老人の動作はのろいけれど、神経は忙しく働いているのだ。そんな趣旨の詩を晩年の伊東信吉は書き残したが、若者には伺い知れない老人の胸のうちを、作者は「おそろしや」と詠んだのだと思う。その「おそろしさ」の根元にあるのは、むろん「明日は我が身」というこの世の定めである。冬の句だが、敬老の日にちなんで……。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


September 1792013

 高稲架やひとつ開けたるくぐり口

                           染谷秀雄

穂の波が刈り取られ、乾燥させるために稲架を組む。5段も組めば大人の身長はゆうに越え、規則正しく組まれた黄金の巨大な壁が出来あがる。一面の青田も、稲穂も、そして稲架もあまりに広大すぎると、まるでもとからそこにあったかのように景色に溶け込んでしまうが、高稲架にくぐり口を見つけた途端、ここを行き来する人の生活が飛び込んでくる。この広大なしろものが、すべて人の手によるものであったことに気づかされる。ひ弱な苗から立派な稲穂になるまでの長い日々が、そのくぐり口からどっと押し寄せてくる。苦労や奮闘の果ての人間の暮らしが、美しく懐かしい日本の風景として見る者の胸に迫る。〈月今宵赤子上手に坐りたる〉〈鳥籠に鳥居らず吊る豊の秋〉『灌流』(2013)所収。(土肥あき子)


September 1892013

 いささかのしあわせにゐて秋燈

                           安藤鶴夫

月中旬くらいまでは残暑がつづく。これは酷暑の連続だった今年に限ったことではなく、例年のことであると言っていい。歳時記では「秋燈(あきともし)」とならんで「燈火親しむ」がある。同じあかりでも、大気が澄んできて少々涼しさが感じられてくる秋は、あたりの静けさも増して、ようやく心地よい季節である。秋燈はホッとできるあかりである。掲句の場合、身に余るような大袈裟な「しあわせ」ではなく、庶民にふさわしい「いささか=ちょいとばかり」だが、うれしい幸せ感なのであろう。その幸せの中身は何であれ、秋のあかりのもとにいると、どことなくうれしさが感じられるということであろう。『巷談本牧亭』(直木賞受賞)や『寄席紳士録』などの名著のある“あんつる”さんの仕事を、江國滋は「含羞の文学」と評し、「詩人である」とも指摘していた。掲出句はいかにもそう呼ばれた作家にふさわしい、ほのぼのとした一句ではないか。他に「とりとめしいのちをけふは草の市」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 1992013

 雀蛾に小豆の煮えてゐる匂ひ

                           ふけとしこ

に「イモムシ」と呼ばれるものは雀蛾の幼虫のようである。雀蛾の幼虫は地中にもぐって蛹になり、独特の三角形の翅をもつ成虫に羽化するという。以上はネットで得た雑駁な情報だけど、何より「雀蛾」という名前が魅力的だ。色鮮やかな蝶にくらべ夜間活動する蛾は色も地味であまり歓迎されない。掲句では、迷い込んだ雀蛾が台所のどこかに止まっているのだろう。蛾は蝶のように翅をたたまない。水平に翅を広げたままじっとしている雀蛾は壁に展翅されたように見える。そんな雀蛾に暗赤色の小豆が煮える匂いがしみ込んでゆく。何気ない日常の情景だが夏から秋へとゆっくり変わってゆく夜の時間と秋の色彩を感じさせる佳句だと思う。「ほたる通信 II」(2012.10)所収。(三宅やよい)


September 2092013

 まひるまの秋刀魚の長く焼かれあり

                           波多野爽波

たり前といえば、当たり前の光景だが、不思議な臨場感がある。その秘密はひとつは、上五の「まひるまの」にあろう。これが、夕餉の準備で、たとえば、「夕方の秋刀魚の長く焼かれあり」では、おもしろくもなんともない。「まひるま」という明るい時空で焼かれることによって、秋刀魚の存在感は増してくる。一句のもうひとつの妙味は、「長く」にある。秋刀魚が長い形をしていることは常識だが、常識をあえて、言葉にすることによって、対象物のありようを再認識させてくれる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


September 2192013

 丁寧に秋のビールを注がるる

                           澤田和弥

は一年中ほとんどビールしか飲まなかった。四季を問わず、トマトと豆腐とラガーの大瓶で始まる晩酌、気に入りの小さいグラスでゆっくり延々と飲むのが好きだったがそのうちさすがに、あと一本は飲めない、と調節用に缶ビールを買うようになった。缶はどれも同じだなあ、などと言いながら、グラスに注いでいたのを思い出す。そんな光景がしみついているからか、ビールといえば夏、と実感しにくいのだが、秋のビール、と言われると、しみじみとした季感と共に冷えすぎていない茶色の壜麦酒が浮かぶ。麦酒が注がれるグラスにそそがれる二人の視線、静かに注いでくれているその人と、それを丁寧と表現する作者、美味しい麦酒と一緒に長い夜がつづく。『革命前夜』(2013)所収。(今井肖子)


September 2292013

 耳遠き身を聡くする虫の闇

                           河波青丘

成十七年、作者が88歳の年に句集『花篝』が出ました。一頁に二句、見開き四句の構成なので、眼鏡が必要な私にも読みやすく助かります。みなそうでしょうが、ふだん、字の細かい歳時記に苦心している読者にとって大きな活字はありがたい。掲句は80歳の作で、眼ばかりでなく、耳も遠くなってきたこのごろ、秋の夜は網戸にして窓はあけているので、鉦叩(かねたたき)のチンチンチンや松虫のチンチロリンの音が、身を聡(さと)くしてくれます。体の中を音が通過して浄化してくれている、そんな秋の夜長です。ところで、尺八の音階は「ロツレチリ」と謡い、西洋音階の「レファソラド」に対応します。チンチロリンとロツレチリ。日本の耳は、ロ、チ、リを好むのかもしれません。掲句は技巧も工夫されていて、「耳、身、闇」のmiで韻を踏み、また、「耳、聡、闇」の漢字は、「耳」と「音」からなる聴覚系で連ねています。チリリリリという虫の音に耳を傾け、聡明になっていく作者の身がたち現れています。(小笠原高志)


September 2392013

 空港の夜長の足を組みなほす

                           坂本茉莉

港でのフライト待ち。その時間はまことに所在ない。予定時刻をだいぶ過ぎても飛ばなかったりすると、苛々感が募ってくる。そんな気持ちを表現した句だと単純に受け取ったが、あとがきを読んで、考えをあらためた。作者はタイ在住26年。「その間に仕事あるいは私用で、幾度日本とタイを往復したことでしょう。空港や飛行機は、私にとって単なる建物や乗り物以上の意味を持ち、ときに二つの文化を行き来する切り替えのための中継点であり、またあるときは日本にもタイにもなじめぬ心身を癒す休息場所でもあります」。つまり作者には、行楽などのために利用する空港というイメージはないわけで、「足を組みなほす」行為にも、たとえば考え事を組み立て直すきっかけ作りの意味があったりしそうである。これからも国際化時代は進行してゆく。伴って、空港のイメージも大きく変わってゆくのである。『滑走路』(2013)所収。(清水哲男)


September 2492013

 星の座の整つてくる虫しぐれ

                           前田攝子

月末、天文愛好家が「天体観測の宝庫」と賞賛するあぶくま高原に星を見に行った。昼の暑さはまだ夏のものだったが、山から闇がしみだしてくるような午後7時を回る頃には気温もすっかり下がり、長袖でなくては寒いほどだった。細やかな星のきらめきのなかで天の川に翼をかけたはくちょう座が天体から離れると、秋のくじら座が姿をあらわす。爽やかな空気のなかで、星たちは冴え冴えと輝きを増し、大きな部屋に描かれた天井絵を掛け替えるように、天体の図柄が変わる。秋の役者が揃ったところで、虫しぐれが地上でやんやの喝采をあげる。星座に虫の名を探してみるとひとつきり、それもハエ。なんとも残念なことだ。名前のない小さな星たちを集めて、秋の空にすずむし座やこおろぎ座を据えて、地上と天上の大合唱の間に身を置く空想を今夜は描いてみよう。〈舵取も荷積みも一人秋高し〉〈水に置きたき深秋の石ひとつ〉『晴好』(2013)所収。(土肥あき子)


September 2592013

 いつ来るとなく集りし踊かな

                           三遊亭圓朝

ろいろな踊りがあるけれど、俳句で「踊り」といえば盆踊りのこと。盆踊りはもともと、盆に戻ってきた先祖の霊もまじって、人が一緒になって踊るというもの。踊り手が手拭や編み笠で顔を隠すようにして踊るのは、亡者を表わしている。夕刻から盆太鼓が打ち始められ、次第に踊り手が増えて輪ができていく。まさに「いつ来るとなく」、いつしか人が集まって踊りの輪が広がっていく。圓朝のことだから、そのなかに尋常ならざる者も、幾人かまじっているのかもしれない。私もその昔、見よう見真似で踊ったりしたものだった。さかんなときは二重三重の輪ができることもあった。仮装大会などもあると一段と盛りあがった。私の母は若い頃には、乳飲児の私を姑に預けて、踊りに夢中になったこともあった、とよく聞かされた。私が今住む町の公園で、町内会の祭りが十年以上つづけられている。独自な盆唄をもたないから、いまだにあの♪月が出た出た……の炭鉱節のCDをくり返し流しつづけている。踊るアホーより見るアホーのほうが多く、自治会が運営する露店のビールや焼そばが繁昌しているようだ。盆踊りも時代とともに様変わりしたり、ちっとも代わり映えしなかったり、さまざまである。圓朝には他に「其なりに踊り込みけり風呂戻り」の句がある。永井啓夫『三遊亭圓朝』(1962)所収。(八木忠栄)


September 2692013

 ショーウィンドウのマネキン家族秋高し

                           山田露結

ョーウィンドウの中に母、父、男の子、女の子の家族が最新ファッションに身を包み、楽しそうに微笑みあっている。この頃はピクニックにも遊園地にも無縁な生活をしているので、昨今の家族がどのように休日を過ごしているのか、とんと疎くなってしまった。時々電車で見かける家族はショーウィンドウの中にいる家族のように上機嫌でもなく、おしゃべりも弾んでいないように見える。それが現実の家族で、気持ちのよい秋晴れに行楽地へ繰り出しても子供は駄々をこね、父と母はささいなことで怒りだすこともしばしば。せっかくの休日が出かけたことで台無しになることだったあるのだ。ウインドウの中の家族は葛藤がない、身ぎれいなマネキンの家族と澄み切った秋空は空々しい明るさで通い合っているように思える。『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(三宅やよい)


September 2792013

 秋風に孤(ひと)つや妻のバスタオル

                           波多野爽波

風に妻のバスタオル、でも、寂しさは十分伝わるが、ここでは、あえて、「孤つ」と断っている。そのことによって、寂寥感は、いや増しに増す。一句に詠まれているのは、バスタオルであるが、単にバスタオルだけが描かれている句とは思えない。写生句を装いながら、作者の妻に対する日常の思いが、その背景に反映されているように思われる。そう考えれば、「孤つ」に籠められた心情も深い。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


September 2892013

 遠まきの星にまもられ今日の月

                           林さち子

風が去って空が洗われ、今年は待宵から名月、十六夜と佳い月の日々が続いた。ことに満月の夜の東京は雲一つ無く、街の灯りがぼんやりと照らすあたりにはかすかな星が浮かんでいたが、月はひたすらな光を放ちながら天を巡っていった。そんな月を、孤高の月、ととらえて、月が星を遠ざけている、と言うとそれは思い入れの強いありがちな見方になるだろう。この句の作者はそんな月が、遠まきの星にまもられている、と言い、今日の月、と結ぶことで、長く人と親しんできた円かな月が浮かんでくる。〈さはりなく今宵の月のふけしかな〉と同じ作者の句が二句並んで『ホトトギス雑詠選集 秋の部』(1987・朝日新聞社)にある。昭和六年の作、作者について詳細は分からなかったが、あたたかい人柄を思わせる。(今井肖子)


September 2992013

 ちちははが骨寄せあえる秋の暮

                           清水喜美子

彼岸の句とも、納骨の句とも読めます。「骨寄せあえる」とあるので、作者は、先に眠る者の骨に寄せて、そっと、大事に納骨したのでしょう。あるいは、生前、仲睦まじいご両親だったのでしょう。父という肉体は埋葬されるとき「ちち」という骨となり、母という肉体も「はは」となる。「ちち」と「はは」が、お墓の中で「ちちはは」として構成されている。作者はそれに向けて線香をあげ合掌しています。墓は文字通り、土の中で死者が眠る所。おがみ終えると、墓にも卒塔婆にも樹木にも夕日がさして、影が長く伸びている墓地。生きているということは、秋の暮の夕日に染まること、また日が昇り、暮らしが始まるということ。死者は土に、生者は日の中に。『風音』(2009)所収。(小笠原高志)


September 3092013

 転ぶ子を巻く土ぼこり運動会

                           嘴 朋子

年のように、近所の小学校の運動会を見に行く。年々歳々、むろん児童たちは入れ替わっているのだが、競技種目は固定されているようなものなので、毎年同じ運動会に見えてしまう。ともすると、自分が子供だったそれと変わりない光景が繰り広げられる。転ぶ子がいるのも、毎度おなじみの光景である。掲句では「巻く土ぼこり」とあるから、かなり派手に転んでしまったのだろうか。しかし作者は可哀想にと思っているわけではない。転ぶ子が出るほどの子供らの一所懸命さに、拍手をおくっているのだ。いいなあ、この活気、この活発さ。昔住んでいた中野の小学校の運動場は、防塵対策のためにすべてコンクリートで覆われていたことを思い出した。運動会も見に行ったが、転んでも当然土ぼこりは立たない。転んだ子は、どこかをすりむいたりする羽目になりそうだから、見ていてひやひやさせられっぱなしであった。やはり、運動会は砂ぼこりが舞い上がるくらいがよい。『象の耳』(2012)所収。(清水哲男)




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