こんなことで故郷の風景と再会するとは。山口島根集中豪雨。(哲




2013ソスN7ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2972013

 横にして富士を手に持つ扇かな

                           幸田露伴

士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して、「俳句」(2013年8月号)が「富士山の名句・百人百句」(選・解説=長谷川櫂)を載せている。掲句は、そのなかの一句だ。ゆっくり読み下していくと、富士山を横抱きにするなどは、どんな力持ちかと思えば、なあんだ扇に描かれた富士山だったのかという馬鹿馬鹿しいオチになっている。作り方としては都々逸と同じだ。長谷川櫂はこの句を「江戸文化にあこがれた文人の句」として紹介し、江戸時代の人々は富士に仲間のような親しさを覚えていたと書く。それが明治期になると富士は大日本帝国の象徴となってしまい、この句のような通俗性とは無縁の存在として「君臨」するようになった。そうした風潮へのいわば反発としてこの句をとらえると、馬鹿馬鹿しさの向うに、露伴の切歯扼腕的な息遣いが漏れてくるようで、面白い。世界遺産登録に大喜びしているいまどきの風潮のなかにこの句を放り込んでみると、そこにはまた別の皮肉っぽいまなざしが浮んでくる気がする。「富士山に二度登る馬鹿」と言ったのは、いつごろの時代の人だったのか。私は二度登った。(清水哲男)


July 2872013

 月とてる星高々と涼しけれ

                           原 石鼎

和16年の作。55歳。この数年、数々の病で入退院をくり返し、この年の五月、松沢病院を退院して、神奈川県二宮の新居に入ります。自身は、病と幻聴に苦しみ、かつての後輩たちは、「京大俳句事件」で検挙され、軍靴が高鳴る中、掲句が生まれています。げんざいと違って、冷房や扇風機のない時代の納涼は、避暑地に行くか、夜を待つしかなかったでしょう。『枕草子』の「夏は夜。月のころはさらなり。略。雨など降るもをかし」には、月と雨の情景を愛でているのと同時に、すずやかな肌の心地に一日の熱を冷ますひとときを読みとります。石鼎が、「涼しけれ」と詠嘆の助動詞で切っているのも、肌の実感です。また、これを「けり」ではなく已然形の「けれ」にすることで、炎熱の余韻を伝えています。月を眺め、高々にある星をみつめる遠きまなざしには、昼間の余熱をクーリングダウンさせながら、幻聴から逃れられている静かな時があります。『原石鼎全句集』(1990)所収。(小笠原高志)


July 2772013

 石といふもの考ふる端居かな

                           上野 泰

リラ豪雨の去った後のベランダに椅子を出して、まだ濡れている風にぼんやり吹かれながら、これもまあ端居と呼べないこともないな、と思った。でもやはり、縁側に蚊遣りをたいて団扇片手に遠くを見ていた記憶の中の祖母の姿が、本来の端居なのだろう。掲出句は、昭和四十七年の作。本来の端居と思われるが、石か。以前知人から、ヒトの興味は歳を重ねるに従って動から静に変わっていき最後は石にたどりつく、と聞いたことがある。翌四十八年に亡くなった作者、〈天地の一興月見草ひらく〉〈蜥蜴駆け大地太古をなせりけり〉〈五月闇神威古潭をすぎにけり〉など同年の句の中にあると、ふとその横顔を見たような気になるのだった。『城』(1974)所収。(今井肖子)




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