さあ、インフレに向かって一直線。「民意」だもんなあ、……。(哲




2013ソスN7ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2272013

 生前の天体淡きまくわ瓜

                           松下カロ

者の別の句に「薄命の一人ぬけゆく端居かな」がある。むろん、実景ではない。端居からぬけたって、その人が薄命かどうかなんて、誰にもわかりはしない。これは端居している何人かの状態を思い描くとき、作者の心が、その何人かのうちでいちばん先に落命する人がいる、そのことを痛ましく感じるということだ。それが誰かはわからないが、必ず先に逝く人はいるのだから、作者はいつもその誰かに心が動く。気質に近い人生観のあらわれだと言っておく。掲句はこのことがもっとはっきり表現されたもので、亡くなった誰かを回想しながら、その人が存命だったころの環境を天体として捉えたものだ。お盆の供え物の「まくわ瓜」のように淡いみどり色の環境。やさしくもあるが、強固ではないそれが思い浮かぶ。甘美ではあるが、崩れやすい。そんな世界にこの人は生きていたのだ。と、作者は痛ましく感じ、しかしどこかでいささかの羨望の念も覚えている。俳誌「儒艮 JUGON」(2号・2013年8月)所載。(清水哲男)


July 2172013

 蚊柱やふとしきたてて宮造り

                           正岡子規

治26年の作。前書に、「神社新築」とあります。江戸時代と明治時代では、政治体制から生活様式まで、大きな転換がありましたが、神社仏閣にも変革がありました。江戸時代は、今でも口に出して言う「神さま仏さま」が、神社や寺院で混然と一体化していましたが、明治政府は「神仏判然令」を出し、神社と寺院を分離します。神社は、宗教施設としてではなく、国家の宗祀として、国家が尊び祀(まつ)る公的な施設として位置づけられたので、新築も多かったはずです。明治39年には「神社合祀令」が発令されて、大規模な統廃合がおこなわれ、19万社から13万社へと整理されました。かつては、村の鎮守の森、氏神さまだった神社が、中央集権の影響を受けるようになってきた背景があります。掲句の「ふとしき」は、「太敷く」で、柱をいかめしく、ゆるがぬように建てることです。子規は、その手前に蚊柱が立っているのを見て、面白がったのでしょう。不安定にうごめく蚊柱と、地中奥深く突き立てて、地と天のかけ橋を造ろうとする神柱。ところで、中七は、全てひらがなになっています。これは、もしかしたら、それほど大規模な社殿ではなく、蚊柱と同じ視野に納まるほどの構図を示しているのかもしれません。神を数える助数詞は「一柱」ですが、その語源は二十以上の説があり、定まっていません。諏訪大社「御柱祭」の関係者は、「天と地との架け橋が有力」とおっしゃっていますが、いかに。なお、「蚊柱」の中心には一匹の雌が居て、その周りを有象無象の雄たちが、惑星、衛星、すい星のようにぐるぐる回っているそうです。子規は、この事実は知らなかったでしょうね。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(小笠原高志)


July 2072013

 いつになく酔ひたる喪主のはだか踊り

                           山田露結

めて身近に死を見たのは一緒に住んでいた祖父が亡くなった時。自宅の離れに置かれたその眠っているような顔を不思議な気持ちで眺めていたことを鮮明に覚えている。夏休みも終わりに近い、やりきれないほど暑い日だった。そのせいか、毎年巡ってくる真夏の暑さの記憶の片隅には、かすかな不安がずっと残っている。掲出句の、はだか踊り、形式的分類は夏季ではないのかもしれないが、作者が喪主となられたのは夏だったと思われる。なんともせつないはだか踊り、飲んでも飲んでも酔えない、酔っても酔ってもどうしようもない。句集で読んでから思い出すたび、へろへろと手足を動かしながら全身で泣いているような後ろ姿が浮かんでしまう。〈なきがらに花のあつまる大暑かな〉『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(今井肖子)




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