阪神の悪い癖。もう一押しという時点で巨人に付きあってしまう。(哲




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July 1472013

 七月のなにも落さぬ谷時間

                           秋元不死男

月は、花も散らない。木の葉も落ちない。蝉の脱け殻が落ちてくるには少し早すぎる。梅雨が明け、雨も降らない。空は雲もなく晴れていて風もなく、谷の斜面の樹木は、濃い緑の葉を繁らせている。動くもののない谷間の時間は静止している。秒針が動いて、日が傾いて時の経過を知るわけですが、なにも落ちてくるものがない真昼の谷間では、静止画の中に入れられたような感覚に陥って、時間の迷子になった気持ちなのかもしれません。あるいは、なにも落とさぬ樹木や生物に、生命の緊張を感じとり、谷の空間に平衡が保たれている状態を谷時間としたのかもしれません。七月は、一年の中でも中間に位置します。植物や動物と、空と地形とが、あるバランスをとっていて、俳人は、偶然にもその中点に立つことができた。谷時間とは、そのような立ち位置に居て、初めて感得できる言葉なのかもしれません。詩の言葉であり、哲学の、自然科学の言葉のようでもあります。詩と哲学と自然科学の中点。なお、前書に「秩父・高麗郷」とあります。昭和五十年、七十四歳の作。二年後第四句集『甘露集』(1977)に所収するも、刊行を待たずに永眠されました。(小笠原高志)


July 1372013

 まみゆるは易し涼風ある限り

                           上迫和海

松遊子に〈涼しさは淋しさに似て夜の秋〉があるが、涼し、と、淋し、はどこか通じるものがある気がする。涼風の中にいるとき人は、なんとなく遠い目をしてそこに身をゆだねる。心地よい中に、どこか遠くへ誘われるような心地がするからだろうか。掲出句、作者にどんな思い出があるのかはわからないが、深い哀悼の心と愛情、穏やかな中に静かな決意のようなものも感じられる。二度と会うことはできないけれど、ここに来てこうして涼風の中にいると、その人の声が聞こえるような気がしてくるのだ。涼風の一つの姿がそこにある。『句集 四十九』(2012)所収。(今井肖子)


July 1272013

 言葉出雲となり麦のびをる

                           入沢春光

治16年、鳥取県日野郡生まれ。俳句を鳥取中(現鳥取西高)の先輩である子規門の坂本四方太の指導を受ける。その後河東碧梧桐が鳥取を訪れたの契機に「新傾向俳句」に参加。自由律の句を作った。中学一年上級の尾崎放哉とも親交を結ぶ。後年は村長、県会議員などを歴任し地元の政治家として活躍。酒豪として知られ宴席で食べた河豚の毒にあたって44歳で亡くなった。詩人の入沢康夫は親戚筋。あぎゃんこと、そぎゃんこと(あんなこと、そんなこと)。だんだん(ありがとう)など出雲弁も独特。米子で長く暮らした僕は出雲弁を話していた。同窓会などあると今でもみんな出雲弁だ。ああ懐かしい。『広江八重桜と山陰の明治俳人』(1992)所載。(今井 聖)




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