カルピスとビールを混ぜて飲む「ダブルカルチャード」。美味。(哲




2013ソスN7ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1272013

 言葉出雲となり麦のびをる

                           入沢春光

治16年、鳥取県日野郡生まれ。俳句を鳥取中(現鳥取西高)の先輩である子規門の坂本四方太の指導を受ける。その後河東碧梧桐が鳥取を訪れたの契機に「新傾向俳句」に参加。自由律の句を作った。中学一年上級の尾崎放哉とも親交を結ぶ。後年は村長、県会議員などを歴任し地元の政治家として活躍。酒豪として知られ宴席で食べた河豚の毒にあたって44歳で亡くなった。詩人の入沢康夫は親戚筋。あぎゃんこと、そぎゃんこと(あんなこと、そんなこと)。だんだん(ありがとう)など出雲弁も独特。米子で長く暮らした僕は出雲弁を話していた。同窓会などあると今でもみんな出雲弁だ。ああ懐かしい。『広江八重桜と山陰の明治俳人』(1992)所載。(今井 聖)


July 1172013

 暗算の途中風鈴鳴りにけり

                           村上鞆彦

の頃は町中を散歩していても風鈴の音を聞かない。風鈴を釣る縁側の軒先もなくなり、風鈴の音がうるさいと苦情が来そうで窓にぶら下げるにも気を遣う。風鈴の音を楽しめるのは隣近所まで距離のある一軒家に限られるかもしれぬ。気を散らさぬよう暗算に集中している途中、風鈴がちりんと鳴る。ほとんど無意識のうちに見過ごしてしまう些細な出来事を書き留められるのは俳句ならではの働き。宿題を広げた座敷机、むんむんと気温が上がり続ける夏の午後、かすかな微風に鳴る風鈴の音にはっと顔を上げて軒先に広がる夏空を見上げる。掲句を読んで昔むかし小学生だった自分と、宿題に悩まされつつ過ごした夏休みの日々を久しぶり思い出した。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


July 1072013

 天の川の水をくみきて茶の湯かな

                           有吉佐和子

夕は過ぎてしまったけれど、天の川が消え去ったわけではないから、七夕句会で詠まれた一句を取りあげる。佐和子が元気な(活発な人だった)頃のある年、佐和子邸で「七夕の茶会」なるものが催された。ドナルド・キーン、加東大介、他らと一緒に招かれた車谷弘が、その時の様子を書いている。お茶席の床の間に掲げられた掛軸は、天の川にちなんだ勝海舟の書で、佐和子のお点前による濃茶が振る舞われた。やがて「句会をやりましょう」ということになり、掛軸は漱石の俳句のものに替えられた。花瓶の花も漱石にちなんで、「猫のひげ」に替えられるという趣向。掲句はその席での一句。「天の川の水」はさらりとしゃれていて趣があるではないか。「あけ放した二階座敷から、仄明るく、雨気をふくんだ夜空がひろがり、夜ふけの感じが濃くなっていた。散会したのは十一時近く」と車谷弘は書いている。茶会と句会のダブル・ヘッダーとは、なかなかおしゃれである。「天の川」は秋の季語だが、七夕に作られた句ということでここに紹介した。佐和子はどれくらい俳句を嗜んだのだろうか。その席でキーンさんは「文月や筆のかわりに猫のひげ」と詠んだ。車谷弘『わが俳句交遊記』(1976)所載。(八木忠栄)




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