アツイアツイトイイナガラ、タダイキテイルナサケナサ…。(哲




2013ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1172013

 暗算の途中風鈴鳴りにけり

                           村上鞆彦

の頃は町中を散歩していても風鈴の音を聞かない。風鈴を釣る縁側の軒先もなくなり、風鈴の音がうるさいと苦情が来そうで窓にぶら下げるにも気を遣う。風鈴の音を楽しめるのは隣近所まで距離のある一軒家に限られるかもしれぬ。気を散らさぬよう暗算に集中している途中、風鈴がちりんと鳴る。ほとんど無意識のうちに見過ごしてしまう些細な出来事を書き留められるのは俳句ならではの働き。宿題を広げた座敷机、むんむんと気温が上がり続ける夏の午後、かすかな微風に鳴る風鈴の音にはっと顔を上げて軒先に広がる夏空を見上げる。掲句を読んで昔むかし小学生だった自分と、宿題に悩まされつつ過ごした夏休みの日々を久しぶり思い出した。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


July 1072013

 天の川の水をくみきて茶の湯かな

                           有吉佐和子

夕は過ぎてしまったけれど、天の川が消え去ったわけではないから、七夕句会で詠まれた一句を取りあげる。佐和子が元気な(活発な人だった)頃のある年、佐和子邸で「七夕の茶会」なるものが催された。ドナルド・キーン、加東大介、他らと一緒に招かれた車谷弘が、その時の様子を書いている。お茶席の床の間に掲げられた掛軸は、天の川にちなんだ勝海舟の書で、佐和子のお点前による濃茶が振る舞われた。やがて「句会をやりましょう」ということになり、掛軸は漱石の俳句のものに替えられた。花瓶の花も漱石にちなんで、「猫のひげ」に替えられるという趣向。掲句はその席での一句。「天の川の水」はさらりとしゃれていて趣があるではないか。「あけ放した二階座敷から、仄明るく、雨気をふくんだ夜空がひろがり、夜ふけの感じが濃くなっていた。散会したのは十一時近く」と車谷弘は書いている。茶会と句会のダブル・ヘッダーとは、なかなかおしゃれである。「天の川」は秋の季語だが、七夕に作られた句ということでここに紹介した。佐和子はどれくらい俳句を嗜んだのだろうか。その席でキーンさんは「文月や筆のかわりに猫のひげ」と詠んだ。車谷弘『わが俳句交遊記』(1976)所載。(八木忠栄)


July 0972013

 帆を張れば船膨らみし青葉潮

                           河原敬子

日、日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)を見に行く機会があった。青空の下、一時間ほどかけて乗組員たちの掛け声とともに29枚すべての帆を広げた帆船は、見ているものの誰もが息をのむ美しさだった。それはまるで、大きな蝶が羽化しているさまを目の当たりにしているような、帆船が帆船として息を吹き返しているような、なんとも不思議な時間が海の上に流れていた。かつてはその姿の美しさから「太平洋の白鳥」と称されたとの説明を読み、そのとき感じたどこと言えない胸のわだかまりがなんであるかに気づいた。それは、船が繋留されたままであるという不自然さだった。太平洋の白鳥は岸に繋がれたまま羽を広げていたのだ。動物園に飼われた雄々しい動物を見るときに感じる胸の痛みであった。総帆展帆して帆を風に膨らませても進むことは叶わないのだ。いつか大海に浮かぶ帆船の本当の美しさを見ることはできるだろうか。〈サングラス外しほんたうの海の色〉〈花の名を後ろ送りに尾瀬の夏〉『恩寵』(2013)所収。(土肥あき子)




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