2013年も半分が終わる。この前半期、なにもしなかったなあ。(哲




2013ソスN6ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 3062013

 富士にのみ富士の容に雲涼し

                           富安風生

士山が、世界遺産になりました。おめでとう。信仰の対象と芸術の源泉として文化的に評価されました。後者に関しては、万葉集以来、北斎、広重、太宰にいたるまで、各時代の文芸と美術のモチーフでありつづけています。信仰の対象としての富士講は、北口本宮富士浅間神社に近世から近代にかけての碑が多く残されていますが、「六根清浄」の杖をつきながら唱和する信仰登山は、今ではほとんど見られません。信仰を対象とする富士の場合は頂上を目指し、その霊験をいただきに行くという修験であり、芸術の源泉としての富士は、下界から見上げた憧憬ということでしょうか。掲句は、『自選自解』二百句の中の最後の句で、昭和四十四年、83歳の作。十数年来、夏に逗留する山中湖畔から見る富士山です。この年、ようやく『富士百句』という「体裁だけは分に過ぎた豪華本を作った」と云い、富士に関して、「数だけは人より多く詠みためたかも知れないが、あの程度でわたしはもう草臥れて敗退した感がある」と加え、掲句の自解では、「一天晴れて富士にだけ、稜線に沿って容(かたち)正しく富士をつつむ白い雲、こんなものでは駄目だ。今年ももう一踏張りとは思っている」と自嘲しています。しかし、作者が何と言おうとも、五七五の中に富士を二回出している掲句に魅かれます。なぜなら、上五「富士にのみ」には、三つの景が詠まれているからです。一つ目は、今は雲に隠れて見えない現在の富士、二つ目は、今は雲に隠れている所にいつも見えていた過去の富士、三つ目は、富士以外の麓や晴れ渡っている空の景色。そんな野暮な分析は脇に置いて、「富士にのみ富士の容に」を読むだけで、富士のかたちが立ち現れてきています。日本的伝統には、抽象的な唯一神はなかったけれど、具体的に目に見えて、拝み敬い描き語らう対象がありました。月にむら雲のように、雲につつまれた富士と遊ぶのは太宰の「富嶽百景」にもあり、掲句同様、横綱と大相撲をするちびっ子のような無邪気さがあります。日本の横綱が、世界の番付に入ったことを素直によろこびます。そういえば、北の富士、千代の富士、富士桜。富士を冠した力士はやはり魅せる相撲でした。『自選自解 富安風生句集』(1969)所収。(小笠原高志)


June 2962013

 お面らの笑みて祭を売れ残る

                           坊城俊樹

どもの頃、お祭りは数少ない楽しみのひとつだった。お小遣いとは別にもらえる、当時は直径二十五ミリと大きかった五十円玉を握りしめて、夜店の出ているお地蔵さんまでの道を歩いている時のなんと幸せだったことか。必ず買うのは、ハッカパイプと水風船、綿あめを妹と半分ずつ食べながら歩いていると、いつか夜店の端に着いてしまう。お面はそのあたりに売られていたような気がする。当時、欲しいと思った記憶はないのだが、セルロイドの匂いと白くて細いゴムの記憶はある。掲出句の、お面ら、には、慈しみと郷愁が入り交じる。祭りの翌日、ハッカパイプにお砂糖を入れてみても何の味もせず、ねだって買ってもらったお面は、ぼんやり笑いながら畳の上にころがっていたことだろう。『日月星辰』(2013)所収。(今井肖子)


June 2862013

 はしれ雷声はりあげて露語おしう

                           古沢太穂

ず「はしれ雷」がいいな。俳人は季語を気にして歳時記を携行する。「それ季語の傍題(副題)にあるから大丈夫」なんていう会話は日常だ。例えば梅雨という季語なら、僕の持っている文庫本の歳時記には走り梅雨や梅雨夕焼など傍題が11個並んでいる。その中から自分の句に合う傍題を選んでくる。それは既製服を選んでくるということだ。たった17音しかない詩形のまあ5音を、吊ってある棚から選んでくる。言葉との格闘、ひいては自己表出の戦線を自ら狭めていることにならないか。「はしれ雷」は新鮮、斬新。この作者の個人的な言葉になっている。「おしう」は「教う」。旧文法で現代仮名遣いは太穂さんの特徴。マルクス主義の信奉者でその党派の人。古典の教義で現在を変えようとした太穂さんらしい選択だ。『古沢太穂』(1993)所収。(今井 聖)




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