「景気景気」とかまびすしい。誰にとっての「景気」なのか。(哲




2013ソスN6ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2762013

 太る妻よ派手な夏着は捨てちまへ

                           ねじめ正也

ばさんを漫画に描くときにはむっちりした二の腕とたっぷりした贅肉をつけた体型で口のあたりにくっきりとした法令線を入れればそれらしくなる。パターンの描き方だが自分がその年齢になってみると何を食べてもすぐ太ってしまうのに閉口している。掲句の妻も中年過ぎてムクムク太ってきて若い頃似合っていた派手な色柄の夏着が似合わなくなったのだろう。花模様や大柄な模様は身体の肉付きをことさらたっぷり見せてしまうから厄介だ。この頃は昔ほど服装に年代層の差はなくなってきたように思うが、若い頃買ったものは型も古びており、何よりその服を着ていた若い頃の顔や体型との落差がありすぎて哀しい。端からその様子を見ている夫が「捨てちまへ」とかける言葉は妻に対する愛情なのだ。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)


June 2662013

 百丁の冷奴くう裸かな

                           矢吹申彦

書に「大相撲巡業」とある。俳句だけ読むと「お、何事ぞ!」と思うけれど、大相撲か、ナルホドである。夏のどこかの巡業地で出遭った実際の光景かもしれない。相撲取りの食欲とはいえ、「百丁」はオーバーな感じがしないこともないけれど、一つの部屋ではなく巡業の一行が一緒に昼食をとっているのだろう。二十人いるとしても一人で五丁食べるなら、「百丁」はあながちオーバーとは言えない。大きなお相撲さんたちがそろって、裸で汗を流しながらたくさんの冷奴を食べている。豪儀な光景ではないか。ユーモラスでもある。稽古でほてった裸と冷奴の取り合わせが鮮やかである。「百丁の冷奴」を受けた相撲取りたちの「くう裸かな」が、無造作に見えて大胆でおおらかである。申彦はよく知られたイラストレーターだが、俳句は三十歳をむかえる頃から始めたというから、今や大ベテラン。「詩心のない者は俳句を遊べても、俳句に遊べない」と述懐している。「遊べても……遊べない」そのあたりがむずかしい。俳句関連著書に『子供歳時記ー愉快な情景』がある。俳号は「申」から「猿人」。他に「想うこと昨日に残して鯵たたく」がある。「俳句αあるふぁ」(1994 年夏号)所載。(八木忠栄)


June 2562013

 縄跳びの二重くぐりや雲の峰

                           金中かりん

雨が続くなか、ふとした晴れ間にははっきり夏の刻印が押されたような雲が空に描かれる。縄跳びは冬の季語にもなることがあるが、この場合は夏の遊びとして扱われている。二重くぐりとは、二重跳びと呼んでいたものだと思う。一度跳ぶ間に二回縄を回す跳び方だ。縄は耳元でびゅんと風を切り、高く跳ぶ足元を心地よく二度通過する。二重跳びや、逆上がり、跳び箱など、初めて成功したときはまるで奇跡が起こったかのような嬉しさだが、一度できてしまえばあとは身体が覚えてくれている。振り返ってみれば、あれもこれもできるはずもないと思っていたことばかりだ。夏空に描かれた力瘤のような雲の峰が、新しいなにかへ力を貸してくれるように、もくもくと湧き上がる。〈鶏頭の凭れ合ひしが種子こぼす〉〈暗闇にくちなはの香の立つてをり〉『かりん(※書名は漢字)』(2013)所収。(土肥あき子)




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