都議選、結局棄権しました。棄権は二十年ぶりくらいかな。(哲




2013ソスN6ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2462013

 沢蟹が廊下に居りぬ梅雨深し

                           矢島渚男

の句には、既視感を覚える。いつかどこかで、同じような光景を見たことがあるような……。しかし考えてみれば、そんなはずは、ほとんどない。廊下に沢蟹がいることなど、通常ではまずありえないからである。にもかかわらず、親しい光景のような感じは拭いきれない。なぜだろうか。それはたぶん「廊下」のせいだろうなと思う。それも自宅など住居の廊下ではなく、学校や公民館などの公共的な建物のそれである。これが自宅の廊下であれば、きっと作者は驚いたり、訝しく思うはずだ。いったい、どうやって侵入してきたのだろう。いつ誰が持ち込んだのか、という方向に意識が動くはずである。ところが作者は、少しも驚いたり訝しく思ったりはしていない。そこに沢蟹がいるのはごく自然の成り行きと見ており、意識はあくまでも梅雨の鬱陶しさにとらわれている。公共の建物の廊下は、家庭のそれとは違って道路に近い存在なので、見知らぬ人間はもとより、沢蟹のような小さな生き物がいたとしても、あまり違和感を覚えることはない。降りつづく雨の湿気が充満しているなかに、沢蟹が這う乾いた音を認めれば、作者ならずとも微笑して通り過ぎていくだろう。そしてまた、意識は梅雨の暗さに戻るのだ。と思って句を読み返すと、見たこともないはずの情景が一層親しく感じられてくる。『延年』(2002)(清水哲男)


June 2362013

 梅雨雲の裂けたる空に岳赭き

                           水原秋桜子

和十四年、『蘆刈』所収。磐梯山と檜原湖を詠んだ連作の一つです。山岳雑誌『山と渓谷』に見る山岳写真のように、構図が決まった句です。作者は、梅雨雲のむこうに岳赭き(やまあかき)を置いて、遠近法の構図におさめています。同時に、不安定な梅雨の雲行きの中に、一瞬の裂け目からその赭き威容を現わにする磐梯山に出会う。それは、動中静在りの邂逅でしょう。句中に描かれている要素は、水・空気・光・土の非生命です。灰色に湿った視界の中に一瞬垣間見えた磐梯山の「赭」は、それらの要素に火山の火を加え、色彩が強調されています。また、下五を「赭し」ではなく「赭き」と体言止めにしたところも、磐梯山の「赭」は形容ではなく、土質そのものの物質性を示しているように読みます。(小笠原高志)


June 2262013

 わが足のああ堪えがたき美味われは蛸

                           金原まさ子

元の歳時記には「蛸」は載っていないが、今が旨いよ、と魚売り場のおじさんが言ったなあ、と思ったら、夏季に掲載されている歳時記もあるという。知能が高いゆえなのか、足を食べるのはストレスからだそうだが、ああもう限界、という感じなのだろうか、その瞬間の鮹の気持ちになると切ない。そう思っていたら、耐えがたき美味であるという、これはさらに切ない。その痛みに我に返りながらも、耐えがたいほど美味であったら、そう考えると抜け出せない自己矛盾に陥ってゆくだろう。もし自分自身を食べ続けてしまったら、最後は何が残るのか。子供の頃満天の星空を見上げながら、この中のいくつがリアルタイムで存在しているのか、と思った瞬間にも似たぞわぞわ感に襲われる。『カルナヴァル』(2013)所収。(今井肖子)




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