雨降りがつづくと写真を撮るのが億劫になる。イカンイカン。(哲




2013ソスN6ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1962013

 梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり

                           ジャック・スタム

文:shut in by rain / putting on my glasses / taking them off。故ジャック・スタムは知る人ぞ知る英文コピーライターで、俳人との交流も少なくなかった。ドイツ生まれのアメリカ人だったが、俳句は自ら英語と日本語で書いたほどの日本通。眼鏡はしょっちゅう曇るから、日に何度もはずしては拭かなければならない。まして梅雨どき、降りこめられて家から出られないときの鬱陶しさはかなわない。「かけたりはずしたり」の厄介さは、眼鏡をかけている人にとって梅雨どきならずともたまらない。「梅雨ごもり」などという古風な表現は、現代俳人の句にもあまり見られない。もっとも、梅雨であろうが、かんかん照りであろうが、現代人はこもってなんぞいないで、クルマでどこへでもスイスイ出かけるかーー。ジャックは趣味が幅広かった。十三年間親しく付き合って、俳句も手ほどきしたという江國滋は「(ジャックは)なんの因果か、日本語で俳句を作る趣味にとりつかれてしまった」と指摘しているが、句集には日本語と英語両表記の秀句がならぶ。1987年「日本語ジャーナル」誌の俳句コンクールで金賞を受賞した。他に「入梅の底を走るや終電車」「ひらがなでおいしくみえる鰻かな」もある。『俳句のおけいこ』(1993)所収。(八木忠栄)


June 1862013

 草刈女草に沈んでゐたりけり

                           平沢陽子

雨の晴れ間にやらなければならないことのひとつに庭の草むしりがある。雑草を根こそぎ抜くには、やわらかく雨を吸った土は絶好のコンディションである。草むしりの極意は、雑草の名を知ることだという。名を知れば、特性が分かりそれぞれの対処が可能になる。それにしても、行うまではあれほど億劫なのに、いざ始めると時間を忘れてしまうほど没頭してしまう不思議な作業である。茎から根をまさぐり、ずるずると引き上げる。草を排除しているというより、草や土とひとつながりになっているような感覚も、出来高が目に見える達成感も得難い。掲句の一心に作業する草刈女が刈り取った草のなかにうずくまる様子もまた、青々とした草いきれに包まれ、まるで草のなかから生まれたように見えてくるのではないか。『花いばら』(2013)所収。(土肥あき子)


June 1762013

 いっぴきの金魚と暮らす銀座に雨

                           好井由江

先で雨が降ってきたりすると、なんとなく留守にしてきた家のことが気になったりする。この作者の気持ちには、それに近いものがあるだろう。東京に住んではいても、多くの人にとっては「銀座」は普通の街ではない。誰かに会うとか買い物に行くとか催し物を観るためにとか、たいていは何かちゃんとした目的があって出かけるところだ。その意味から言うと、銀座は旅先のようなものなのである。そんな銀座にいて、雨に降られている。にわか雨なのか、急に雨脚が強くなってきたのか。いずれにしても、思わず空を見上げてしまうような雨の中で、作者は飼っている「いっぴきの金魚」のことを思い出している。案じるというほどではないけれど、ちらりとその姿が気になっている。そしてこのときに作者は、常日ごろ金魚と「いっしょに暮ら」しているんだなあ、家族みたいな間柄なのだなあという実感を抱いたのだった。銀座の雨が金魚いっぴきと結びつく。切なくも洒落た句境と読んだ。『風の斑』(2013)所収。(清水哲男)




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