東京地方、今日は青空。サア洗濯だ。…と思う心のわびしさよ。(哲




2013ソスN6ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1762013

 いっぴきの金魚と暮らす銀座に雨

                           好井由江

先で雨が降ってきたりすると、なんとなく留守にしてきた家のことが気になったりする。この作者の気持ちには、それに近いものがあるだろう。東京に住んではいても、多くの人にとっては「銀座」は普通の街ではない。誰かに会うとか買い物に行くとか催し物を観るためにとか、たいていは何かちゃんとした目的があって出かけるところだ。その意味から言うと、銀座は旅先のようなものなのである。そんな銀座にいて、雨に降られている。にわか雨なのか、急に雨脚が強くなってきたのか。いずれにしても、思わず空を見上げてしまうような雨の中で、作者は飼っている「いっぴきの金魚」のことを思い出している。案じるというほどではないけれど、ちらりとその姿が気になっている。そしてこのときに作者は、常日ごろ金魚と「いっしょに暮ら」しているんだなあ、家族みたいな間柄なのだなあという実感を抱いたのだった。銀座の雨が金魚いっぴきと結びつく。切なくも洒落た句境と読んだ。『風の斑』(2013)所収。(清水哲男)


June 1662013

 与太者も足裏白き昼寝かな

                           岡本敬三

月三日に他界された岡本さんの句です。月曜の清水さんも「控えめな人柄であった」とおっしゃっているとおり、句会では、細身の躯を控えめにたたみ、主張するというよりも、よく人の話に耳を傾ける人でした。だから、文学少女の心を保ち続けている女性たちに慕われることが多く、他の男衆はうらやましがっておりました。怒る、どなる、意地悪をいう、そんな感情はどこかに置いてきて、句会をしみじみ楽しんでおられました。掲句は、十年ほど前の「蛮愚句会」で詠まれた句です。岡本さんが、「ぼくは、足の裏が好きなんですよ」と云ったことが印象深く、後にも先にもそんな嗜好を聞いたのはこれっきり、ありません。考えてみれば、足の裏はふだん隠れていて、体の中でも気にしない部分です。たとえば、悪人には悪人の人相とか、善人には善人の人相とかがあるのかと思われますが、足の裏は、善人も悪人も偉人も凡人も大差ないでしょう。人類は、足の裏において平等に白い、岡本氏はこう言いたかったのかどうか、もう聞けないのが悲しい。たぶん、そんな大げさには考えていないよと、静かに、喉の奥からおっしゃるでしょう。なお、岡本敬三の小説に『根府川へ』(筑摩書房)があります。句誌『蛮愚』(別冊・30回記念・2002)所載。(小笠原高志)


June 1562013

 一人づつ菖蒲の中を歩きけり

                           長谷川かな女

週末、見頃を迎えつつある明治神宮御苑の菖蒲田へ。緑の中の小径を行くと、梅雨晴の底に水を湛えた菖蒲田が広がり、しっとりとした紫の風が渡ってゆく。休日ということもあり賑わっていたがそう言われてみれば、連れ立ちながらも一人ずつ静かに菖蒲田を巡り、立ち止まっては「都の巽」「十二単」などの名札と花を見比べながら、〈紫の菖蒲に妻と入れ替る〉(古舘曹人)。深い大和紫や光を集める白、すっと立つその茎の先にやわらかくほぐれる花弁、かすかな水音。それらを言葉にすることなく、対峙すると背筋が伸びるような花菖蒲の美しさが見える一句となっている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)




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