アンデスの穀物キヌアに世界が注目。どんな味がするんだろう。(哲




2013ソスN6ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1462013

 立ちしまま息をととのふ水中花

                           櫻井博道

中花だから「立ちし」はわかるけど、なんで「息をととのふ」なのかというと作者の呼吸が苦しかったのだった。宿痾の結核とずっと付き合ってきた博道(はくどう)さんが水中花を見ている。対象と自己とが一枚になるようにという楸邨の方法がここにも生かされている。逆に考えてみよう。博道さんの人生についてまったく無知であったとき、或は作者名を消してこの句だけを見たとき、この「息ととのふ」は同様の感興を伝えるや否や。本人についての正確な事実を知っている場合よりは漠然とはするけれど、やはり作者の尋常ではない呼吸の状況が推測できると僕は思う。水中花を見ているときも呼吸への意識が離れないということであることだけはこの表現から確かだからだ。『椅子』(1989)所収。(今井 聖)


June 1362013

 玉手箱風なり 開ければさくらんぼ

                           伊丹三樹彦

形名産「佐藤錦」を送っていただいたことがある。蓋を開ければぎっしりと大粒のさくらんぼがきれいに詰められていて、ルビー色に光るその美しさにため息が出た。詰められた箱は何の変哲もない白い果物用のダンボールだったのだけど、蓋を開けたときの感嘆はまさしく玉手箱を開けたときの驚きだった。掲句では、そうした感嘆の比喩ではなく詰められている箱そのものが玉手箱のようなので「玉手箱風」なのだろうか。この「〜風」が謎だけれど、箱詰めにされた「さくらんぼ」ほどきらめきが魅力的な果物はないように思う。その美しさは虚子の「茎右往左往菓子器のさくらんぼ」の自在さとはまた違った魅力がある。『続続知見』(2010)所収。(三宅やよい)


June 1262013

 かばやきのにほひや街のまひる照り

                           網野 菊

どきの下町であろうか、鰻屋が焼くあの「かばやきのにほひ」である。あたりに遠慮なく広がるおいしい香りはたまらない。かばやきのタレ作りは、その店その店で企業秘密とされる。味もさることながら、どうして独特な脂まじりの匂いがおいしいのだろうか? あの匂いをいやがる日本人は少ないと思う。焼鳥や秋刀魚を焼く匂いの比ではない。しかも街は夏のかんかん照りである。この「照り」が「にほひ」をいっそう引き立てている。ところで、鰻を扱った傑作落語はたくさんある。かばやきの匂いと言えば、ケチの噺のまくらとして登場するこんな小咄がある。ーーあるお店(たな)で昼どきになると、隣の鰻屋のかばやきの旨い匂いをおかずにして、そろっておまんまを食べる。月末に鰻屋が「嗅ぎ料」として勘定をもらいに来た。そこで主人は袋に入れた小銭をジャラジャラ鳴らして、その音だけを「嗅ぎ料」として支払った。どっちもどっちで、しかもじつにシャレているではないか。作家・網野菊を知る人は今や少ないだろうが、多くの俳句を残した。他に「短夜のはかなくあけし夢見かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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