「梅雨の晴れ間」というよりもまだ「入梅前」の感じが強いな。(哲




2013ソスN6ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0462013

 十薬や予報どほりに雨降り来

                           栗山政子

年も5月14日の沖縄を皮切りに、例年だと今週あたりで北海道を除く日本列島が粛々と梅雨入りする。サザエさんの漫画では雨のなか肩身狭そうに社員旅行をしている気象庁職員や、あまり当たらないがたまに当たることから「河豚」を「測候所」と呼んでいた時代もあったというが、気象衛星や蓄積データの功績もあり、いまや90%の確率という。十薬とはドクダミをいい、日陰にはびこり、独特のにおいから嫌われることも多いが、花は可憐で十字に開く純白の苞が美しい。掲句では、雨が降ることで十薬の存在をにわかに際立たせている。さらに「予報どほり」であることが、なんともいえない心の屈託を表している。毎朝テレビを付けていれば、また新聞を開けば目にする天気予報である。天気に左右される職業でない限り、通り雨や日照雨(そばえ)を「上空の気圧の谷の接近で午後3時から5時までの間でにわか雨となるところがあるでしょう」などと解明されるのは、どことなく味気ないのだ。いや、的中することが悪いというわけではない。お天気でさえ間違いがないという、そのゆるぎなさに一抹のさみしさを感じるのだ。せめて「今日の午後は狐の嫁入りが見られるでしょう」のように、民間伝承を紛れ込ませてくれたら楽しめるような気がするのだがいかがなものだろう。〈喉元を離るる声や朴の花〉〈露草や口笛ほどの風が吹き〉『声立て直す』(2013)所収。(土肥あき子)


June 0362013

 人の世の芯まで愛す小玉葱

                           陽山道子

理の付け合わせに使われる小玉葱。普通の玉葱よりも柔らかくて、甘味も濃い。形状もいかにも可愛らしいから、小玉葱が嫌いな人はあまりいないだろう。作者は「人の世」もそのようであり、小玉葱が芯まで美味しいように、人の世も芯まで愛し得ると述べている。……とはいうものの、あまりそんなに理屈のかった句として読んではつまらない。小玉葱の球体から地球のそれ、さらには「人の世」と連想して、「みんな、良いなあ」と、機嫌よく思ったよ、ということだろう。作者の、そんなおおらかな心情を読み取って、読者が少しハッピーな気分になれば、句は成功である。なお小玉葱のことを「ペコロス」と言うが、この命名は日本独自のものであり、由来は不明だと「ウィキペディア」に出ている。『おーい雲』(2012)所収。(清水哲男)


June 0262013

 薔薇の園水面を刻む風の術

                           中村草田男

薇園の中の池の情景でしょうか。句集では、「術」に「すべ」のルビがあります。水面には薔薇の花びらが映り込んでいますが、風が吹いているので、その姿は小刻みに変化しつづけています。水面は、空の青と薔薇の赤とが溶け合うようにゆらいでいますが、けっして混ざり合うことはない、水面です。咲いている薔薇と水面の薔薇は、実像と虚像の関係にありますが、風がドローイングしているととらえる作者の眼には戯れがあります。昭和三十四年、虚子先生の告別式からしばらく経ってからの句なので、あるいは虚子先生の面影を偲んでいるのかもしれませんが、これはわかりません。むしろ、風が施した「術」は花鳥諷詠で、それを客観写生して亡師に捧げている。この方が少し近いようです。なお、Bara・kiZamu・kaZe・suBeの濁音によって、風紋が響いています。『中村草田男集』(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)




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