元来が出歩き好き。歩行がやや困難になってからよくわかった。(哲




2013ソスN5ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2552013

 薔薇呉れて聖書貸したる女かな

                           高浜虚子

きい朱色の折り鶴が描かれた表紙を開くと写真が載っている。喜壽の春鎌倉自邸の庭先にて著者、とあるその表情は穏やかだがちょっと不機嫌にも見え、男物にしては華奢な腕時計をした手首に七十七歳という齢が確かに感じられる。そんな『喜壽艶』(1950)の帯には、喜壽にして尚匂ふ若さと艶を失はぬ永い俳句作品の中から、特に艶麗なる七十七句を自選自書して、喜壽の記念出版とする、と書かれている。掲出句、自筆の句の裏ページの一文に「ふとしたことで或る女と口をきくやうなことになつた。その女は或とき薔薇を剪つてくれた。そしてこれを讀んで見よと云つて聖書を貸してくれた。さういふ女。」とある、さういふ女、か。薔薇を剪ってくれた時にあった仄かな気持ちが、聖書を読んでみよと手渡された時、やや引いてしまったようにも感じられるが、明治三十二年、二十六歳の作ということは、五十年経っても薔薇の季節になると思い出す不思議な印象の彼女だったのだろう。(今井肖子)


May 2452013

 「観入」を説きて熱砂に指を挿し

                           山口誓子

相観入とはどういうことか。この用語の発案者斎藤茂吉自身であろうとなかろうとどちらでもいいが誰かがその説明をしていて熱砂に指を差し込んだ。実相観入とは子規提唱の「写生」をその筆頭信奉者である茂吉が解釈したもので、視覚的な対象に自己を投入して、自己と対象とが一つになった世界を「写生」の本義とした短歌理論。当時は俳人も多くがこの理論に影響された。見えるものの中に自己を没入させる。その没入の説明がこの指先になるのであろう。一句「ひねる」という俳諧風流の俗の残滓から文学性を拾い上げようとする当時の俳人たちのエネルギーが伝わってくる。『構橋』(1953)所収。(今井 聖)


May 2352013

 鏡なすまひる石階をゆく毛虫

                           金尾梅の門

桜のころは毛虫が多くて、おちおち桜の木の下で遊べなかった。あの黒くもにゃもにゃした毛虫は今でも桜を食い荒らしているのだろうか。都会では桜並木の下でもあまり毛虫を見ないように思う。掲句、鏡なす昼の光に石段の照り返しが眩しい。何もかも動きを止めたような昼下がり、全身をくねらせながら石段を這ってゆく毛虫にふと目をとめたまま視線がはずせなくなったのだろう。もどかしいぐらいゆっくりした毛虫の動きが時間の長さを読み手に感じさせる。金尾梅の門(かなおうめのかど)古風な俳号を持つこの俳人は大須賀乙字に学んだ富山生まれの俳人だそうだ。『現代俳句全集』(1958)所載。(三宅やよい)




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