最近ポテトチップスにはまってしまい、毎日一袋は食べている。(哲




2013ソスN5ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1052013

 蜘蛛の子の散りたる後の蜘蛛と月

                           加藤楸邨

じ号の楸邨発表句に「すれちがふ水着少女に樹の匂ひ」がありそちらの方に眼を取られてこの句を見過ごしていたのだった。この句、子に去られたあとの親蜘蛛に思いを致している。蜘蛛に感情などあろうはずもない。子を産み育てるのは本能だ。しかし、子がたくさん去ったあとの親蜘蛛の孤独がこの句のテーマ。蜘蛛をおぞましい対象として捉える「通念」への抵抗も感じられる。「もののあはれ」とはこういうことなんだろうなとあらためて思った。「寒雷・350号記念号」(1962)所載。(今井 聖)


May 0952013

 この顔を五月の風にあづけけり

                           三吉みどり

葉風、薫風。五月は湿気も少なく、柔らかなみどりの若葉が心地よい風を送ってくれる。四季折々風や雨に名前が付いているが、この季節の風ほど気持ちよく匂いやかな風はないように思う。吹く風に「顔をあづける」のだから爽やかな風に思う存分頬を打たせているのだろう。新緑の道をゆく爽快さが感じられる。「この顔」「五月」と頭韻を踏むなだらかなリズムがさらりと吹き抜けてゆく五月の風のようだ。夏に向かう明るさをはらんだこの時期を思う存分満喫しているさまが想像できる。「手をたたきましよ鯉が来る夏が来る」「ガラス器に淡き影ある夏はじめ」等も季節を先駆けるみずみずしい気分に満ちた句である。『花の雨』(2011)所収。(三宅やよい)


May 0852013

 五月雨や庭を見ている足の裏

                           立川左談次

談次は1968年に談志の弟子になった、立川流の古参。五月雨の時季、OFFの芸人が無聊を慰めているという図かもしれない。自画像か否か、どちらでもかまわない。雨の日はせかせかしないで、のんびり寝そべって足の裏で雨の庭をただ眺めている、そんな風情はむしろ好もしい。それが芸人ならなおのこと。足の裏に庭を眺めさせるなんて、いかにも洒落ている。そのとき眼のほうはいったい何を見ていたのだろうか? 「足の裏」が愛しくてホッとする。錚々たる顔ぶれがそろう「駄句駄句会」の席で、左談次はさすがによくしゃべり、毒舌も含めてはしゃいでいる様子である。ちなみに、この句に向けられたご一同の評言を列挙してみよう。「よそに出しても通用する」「いかにも怠惰な男の句です」「『浮浪(はぐれ)雲』みたい」「毎日寝ているひとじゃないと詠めない」「足の裏がいい」「この表現が落語に生きたらすごい」「古い日本人共通のノスタルジーだ」……みなさん勝手なことを言っているようだけれど、ナルホドである。左談次の俳号は遮断鬼。句会では、他に「三月の山おだやかに人を呑み」がある。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)




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