おやおや阪神怪調、いや快調。この勢いを交流戦まで持続せよ。(哲




2013ソスN5ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0852013

 五月雨や庭を見ている足の裏

                           立川左談次

談次は1968年に談志の弟子になった、立川流の古参。五月雨の時季、OFFの芸人が無聊を慰めているという図かもしれない。自画像か否か、どちらでもかまわない。雨の日はせかせかしないで、のんびり寝そべって足の裏で雨の庭をただ眺めている、そんな風情はむしろ好もしい。それが芸人ならなおのこと。足の裏に庭を眺めさせるなんて、いかにも洒落ている。そのとき眼のほうはいったい何を見ていたのだろうか? 「足の裏」が愛しくてホッとする。錚々たる顔ぶれがそろう「駄句駄句会」の席で、左談次はさすがによくしゃべり、毒舌も含めてはしゃいでいる様子である。ちなみに、この句に向けられたご一同の評言を列挙してみよう。「よそに出しても通用する」「いかにも怠惰な男の句です」「『浮浪(はぐれ)雲』みたい」「毎日寝ているひとじゃないと詠めない」「足の裏がいい」「この表現が落語に生きたらすごい」「古い日本人共通のノスタルジーだ」……みなさん勝手なことを言っているようだけれど、ナルホドである。左談次の俳号は遮断鬼。句会では、他に「三月の山おだやかに人を呑み」がある。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


May 0752013

 合歓の花老いても老いても母なりし

                           岸波征美子

歓(ねむ)は、シダのように平たく開いた葉が、夕暮れになるとぴたりと閉じ、葉の気配をまるでなくしてしまう不思議な木である。一方、ブラシの先がふんわりと色づくような花は眠ることなく、夜の間も甘い香りを放ち続ける。光ある間の疲れを癒すように眠る葉と、取り残されるように漂う香りに、作者は老いた母の姿を思う。私事になるが、先月静岡に暮らす母が転倒した拍子に膝を骨折した。約三ヶ月の入院生活が強いられることとなり、だいぶ意気消沈している様子に、このところ以前よりも多く会いに戻っている。先日は私が13歳の夏休みに川へ自転車ごと落ちたときの話しになった。このとき幸い骨折はしなかったものの、私の膝には今も醜い傷が残る。「あんたは昔っからそそっかしかった」と言ってから、現在自分の置かれた状況に気づいて笑い合った。母との話題は、会うたびに過去へとさかのぼる。お互いこれからのことは怖くて触れられないのかもしれない。掲句では中七のリフレインが、これから重ねる月日の長からんことを切に祈る気持ちにも触れる。そして娘もまた、生涯娘なのである。折々で「あの時の母の年齢になったのだ」と、ときには驚愕しながら生きていく。母は今日、76歳になった。『合歓の花』(2013)所収。(土肥あき子)


May 0652013

 もう着れぬ青い服あり修司の忌

                           桑田真琴

山修司の忌日は1983年5月4日である。あれからもう三十年が経ったのか。掲句の作者の年譜からすると、そのときの作者は二十歳そこそこの若さだった。そんな日々に着ていた青い服がまだ残っており、それはどこかで当時の修司を愛読した気分につながっていて、甘酸っぱい若き日々のあれこれを思い起こさせる。しかし、その服が「もう着れぬ」ように、修司も作者の心には生きているが、現実的によみがえることはないのである。青春は過ぎやすし。いまにしてこの感慨が、五月の風のように胸元を吹き過ぎていく。葬儀は亡くなってから四日後の9日に、青山斎場でいとなまれた。上天気の日で、気持ちの良い葬儀だった。「あらゆる寺山作品のなかで、ベストはこの葬儀だったね」と、寺山の歌人としての出立に立ち会った杉山正樹は言っていた。「他者の死は、かならず思い出に変わる。思い出に変わらないのは、自分の死だけである」(修司「旅路の果て」より)。『上馬処暑』(2013)所収。(清水哲男)




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