日常が戻ってくる。これ以上いたましいことが起きませんように。(哲




2013ソスN5ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0752013

 合歓の花老いても老いても母なりし

                           岸波征美子

歓(ねむ)は、シダのように平たく開いた葉が、夕暮れになるとぴたりと閉じ、葉の気配をまるでなくしてしまう不思議な木である。一方、ブラシの先がふんわりと色づくような花は眠ることなく、夜の間も甘い香りを放ち続ける。光ある間の疲れを癒すように眠る葉と、取り残されるように漂う香りに、作者は老いた母の姿を思う。私事になるが、先月静岡に暮らす母が転倒した拍子に膝を骨折した。約三ヶ月の入院生活が強いられることとなり、だいぶ意気消沈している様子に、このところ以前よりも多く会いに戻っている。先日は私が13歳の夏休みに川へ自転車ごと落ちたときの話しになった。このとき幸い骨折はしなかったものの、私の膝には今も醜い傷が残る。「あんたは昔っからそそっかしかった」と言ってから、現在自分の置かれた状況に気づいて笑い合った。母との話題は、会うたびに過去へとさかのぼる。お互いこれからのことは怖くて触れられないのかもしれない。掲句では中七のリフレインが、これから重ねる月日の長からんことを切に祈る気持ちにも触れる。そして娘もまた、生涯娘なのである。折々で「あの時の母の年齢になったのだ」と、ときには驚愕しながら生きていく。母は今日、76歳になった。『合歓の花』(2013)所収。(土肥あき子)


May 0652013

 もう着れぬ青い服あり修司の忌

                           桑田真琴

山修司の忌日は1983年5月4日である。あれからもう三十年が経ったのか。掲句の作者の年譜からすると、そのときの作者は二十歳そこそこの若さだった。そんな日々に着ていた青い服がまだ残っており、それはどこかで当時の修司を愛読した気分につながっていて、甘酸っぱい若き日々のあれこれを思い起こさせる。しかし、その服が「もう着れぬ」ように、修司も作者の心には生きているが、現実的によみがえることはないのである。青春は過ぎやすし。いまにしてこの感慨が、五月の風のように胸元を吹き過ぎていく。葬儀は亡くなってから四日後の9日に、青山斎場でいとなまれた。上天気の日で、気持ちの良い葬儀だった。「あらゆる寺山作品のなかで、ベストはこの葬儀だったね」と、寺山の歌人としての出立に立ち会った杉山正樹は言っていた。「他者の死は、かならず思い出に変わる。思い出に変わらないのは、自分の死だけである」(修司「旅路の果て」より)。『上馬処暑』(2013)所収。(清水哲男)


May 0552013

 傾城の朝風呂匂ふ菖蒲かな

                           炭 太祇

月五日の今日は立夏。端午の節句に菖蒲(しょうぶ)の葉を入れて浴する風習は、今も続いています。邪気を払い、心身を清める菖蒲湯は室町時代からあるようで、江戸時代には俳句にも詠まれています。作者・炭太祇(たんたいぎ)は、京都島原の遊郭内に不夜庵を結び、蕪村と交わり多くの佳吟を残しています。掲句の「傾城」(けいせい)は、遊郭のこと。ここへの出入りが頻繁になりすぎると城が傾くといういわれから、遊郭の別称となりました。廓(くるわ)は字のごとく城郭のように四方を囲まれた幕府公認の遊里。江戸時代は諸大名臣下の単身赴任も多く、また、政治的な暴徒を一挙に取り締まれる治安の意味もありました。そんな、お上の意図なんぞにはお構いなしの掲句の風情は呑気です。菖蒲の香る朝風呂に入っているのは、夜通し和歌、俳諧、歌舞、音曲、色道に遊び通した粋人、お大尽でしょう。同時に、そんな極楽とんぼにあやうさをもかぎとって傾城となるのでしょう。以下蛇足。平安時代の旧暦五月は田植えの時期なので、田に生命を宿すために、宮中では情交を控えていました。ただし、五月五日だけは 例外で、女たちが積極的に男を招待し、人形などを飾ってもてなす風習があったことを「源氏物語」では伝えています。げんざい、それは五月人形にかたちを変えて伝わっていますが、武蔵府中の「くらやみ祭」など、各地で五月五日に行われる例大祭にもそんな艶やかな名残があるのかもしれません。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます