現行憲法を変える必要はない。憲法改悪絶対反対。(哲




2013N53句(前日までの二句を含む)

May 0352013

 木魚ぽんぽんたたかれまるう暮れて居る

                           尾崎放哉

覚の作品。「まるう暮れて」がこの句の眼目。放哉は酒で身をもちくずし最後は寺男をして死んだ。放哉が幼少から青年期まで暮らした鳥取市立川町は近くに中川酒造という大酒造会社があって放哉はその脇を通って鳥取一中に通った。その通学路は寺の多い道である。鳥取市は池田藩三十二万五千石の城下町なので古い寺は多くそれは城周辺に集中している。鳥取一中は城跡にあったのだ。放哉にとって酒と寺との縁は生涯続いた。『大空』(1926)所収。(今井 聖)


May 0252013

 ウーと出てマンボと続く潮干狩

                           佐山哲郎

ういう俳句の良さを伝えるのは難しい。まず「ウー、マンボ!」とマラカス両手に軽快に身体を揺する曲の出だしを知らないと、このワクワク感が読み手に伝わらないだろう。頭の中で鳴り響くマンボのリズムにのって熊手とバケツを提げ、ズボンをまくり上げて海に入ってゆく。開放感にあふれた気分に青い海と空が眩しい。映画の1シーンとして背後にこの曲を流してみれば昔懐かしい日本映画と言った雰囲気。これから潮干狩りを思うたび私の中ではこの曲が流れそうである。「マンボ五番「ヤア」とこどもら私を越える」川柳の中村富二の句にあるが、こちらも同じ曲を主題にしていると考えられる。いずれもレトロな昭和の記憶を引き出す句である。『娑婆娑婆』(2011)所収。(三宅やよい)


May 0152013

 砂けむる大都の空の鯉のぼり

                           田村泰次郎

の時季列車の窓から、その土地その土地でのんびり空高く泳いでいる鯉のぼりを眺めるのは心地良い。思わず見とれてしまう。土地によって景色もそれぞれ違うわけだから、窓辺でのどを潤すビールも一段とおいしく、うれしいものに感じられる。都会で隣接した家の鯉のぼりを、四六時中見せつけられるのはあまりありがたくはないし、うれしい気持ちはいつまでもつづくものではない。掲句は中国からの黄砂とは限らないけれど、舞いあがる砂けむりのなかで、大きな口をあけて泳ぐ鯉のぼりは哀れである。(「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し、口先だけで中はからっぽ」→関係ないか。)しかも大都だから、当時のこととはいえ背景は初夏の緑というより、ビルの林立する都会の味気ない背景が想像される。今や、大都はコンクリートで固められてしまって、砂けむりもそんなに舞いあがらない。そういう空で泳ぐ鯉のぼりこそ哀れか? 初夏の空で果敢に泳いでいる鯉のぼりに、泰次郎は眼を細め、改めて大都にもめぐってきた季節をとらえている。今や、♪ビルより低い鯉のぼり……である。泰次郎の他の句に「たちまちにひらいてゐたり夜の薔薇」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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