ポテトチップスを食べているうちに、四月も過ぎていく。(哲




2013ソスN4ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 3042013

 落椿しばらく落椿のかたち

                           斉田 仁

花を称するには「散る」が一般的だが、椿だけは「落ちる」という。花のかたちが似ている椿と山茶花も、花の終わりで容易に区別ができる。花弁が一枚ずつはらはらと散る山茶花に対して、椿は花冠と雄蕊ごと落ちる。そして根元の部分が重いため、椿はどれも花を見せるように仰向けに落下する。そこが土でも、草でも、石の上でさえも、かたくなに天を向いて落ちる。そう痛んだ様子も見せず、黄金色の蕊をきらめかせながら、それはまるで地から咲いた花のような、不思議な美しさを湛えている。椿は固いつややかな葉で覆われているため、実際の花数は見た感じよりずっと多いことから、樹下が深紅の椿で敷き詰められているような幻想的な景色に出会うこともある。また、江戸時代に描かれた『百椿図』は、ありとあらゆるものに椿を取り合わせた絵巻物だ。どれも花を生けるというより、配置されているように見えるのは、やはり落ちた椿に抜き差しならぬ美を見出していたからだろう。〈朧夜は亀の子束子なども鳴く〉〈シャボン玉吹く何様のような顔〉『異熟』(2013)所収。(土肥あき子)


April 2942013

 かく甘き玉子焼なれ若楓

                           対中いずみ

葉若葉の季節になってきた。どの木々のみどりも美しいが、楓(かえで)のそれは抜きんでている。ハイキングでの昼食の時間だろうか。玉子焼きは弁当のおかずの定番といってよいだろうが、作者はこのときの甘い味に大いに満足して、玉子焼きはいつもこのような甘さであるべきだと悦に入っている。若い楓の葉が発する清らかな風のなか、さぞかしおいしかったろうなと、生つばが出てきそうな句だ。食べ物の句は、すべからくこのようにあるべきだ。またぞろ貧乏話で恐縮だが、子供の頃、我が家では鶏を飼っていたけれど、卵はめったに口に入らなかった。現金収入を得るための大事な商品だったからだ。何かの拍子に傷ついたり割れたりしてしまい、売り物にならなくなった卵一個を弟と分けあったことを思い出す。生卵をきちんと半分ずつに分けるだなんて、至難の業である。当然、喧嘩になった。食べ物を争う喧嘩ほど悲しいものはない。このような句が現れてくるなど、想像もつかなかった時代もあったということである。『巣箱』(2012)所収。(清水哲男)


April 2842013

 咲き誇りたる北大のチューリップ

                           秋沢 猛

年度から、はやひと月が経とうとしていますが、通勤電車はまだ混んでいます。四月は希望をふくらませる月です。プロ野球ファンしかり、大学生もまたしかり。四月の大学のキャンパスは、一年で一番にぎわいます。新入生はもちろん、出席不良でなかなか単位がとれなかった筆者のようなダメ学生も、ゴールデンウイークの前までは、せっせと開幕ダッシュをしておりました。北海道大学、道民の憧れである北大のキャンパスを歩く新入生は、咲き誇っている色とりどりのチユーリップのような明るい心持ちでしょう。北国の春はこれからです。掲句は、広いキャンパスに咲き誇るチューリップに、北大生の誇りと大志を重ねています。「咲き誇り」という大仰な表現も、学生の姿とチューリップの色彩を重ねることで、一句のなかでなじんでいます。また、北大がもつバンカラで大らかなイメージにもむすびつき、東大や京大や九大や早慶よりも、北大にはチューリップが似合います。「俳句歳時記・春」(角川ソフィア文庫・2012)所載。(小笠原高志)




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