April 272013
旨さうな「うどん」といふ字春の雨
岩崎ゆきひろ
うどん、とひらがなで書くと、うどんに見えてくる。ことに、ん、の曲線がうどんぽくて、なるほどなあ、と。先月本屋で見かけた雑誌には、うどんの国ニッポン、の見出しと共に、手打うどん、の文字が黒々と躍っていた。うどん屋の看板をあれこれ見てみると、確かに太く勢いのあるものが多くその文字を見ると、ゆでたてのぶっかけうどんを勢いよく啜りたくなるのだ。掲出句、看板を明るく濡らす春の雨である。このところ冷えこんでいる東京の雨には春雨の艶やかな印象は乏しく、育ってきた緑をしっとりと包んでいて、こんな日なら暖かい汁たっぷりのうどんが食べたくなりそうだ。いずれにしても、春の雨、が一句に広がりを与えて詩にしている。『蟹の恋』(2012)所収。(今井肖子)
April 262013
山桜あさくせはしく女の鍬
中村草田男
人は俳句に何を求めるのだろうか。俳味、滋味、軽み、軽妙、洒脱、飄逸、諷詠、諧謔、達観、達意、熟達、風雅、典雅、優美、流麗、枯淡、透徹、円熟、寓意、箴言、警句等々。仮にこんな言葉で自分の句を評されてもちっともうれしくないな。草田男の句はこのどれにも嵌らない。人は何故生れたのか、何のために生きるのか、何をするべきなのか、どこへ行くのか、「私」とは何なのか、そんなことを考えさせてくれる作家だ。「あさくせはしく」が原初の性への認識を思わせる。また草田男の季語の使い方にはグローバルで普遍なるものを個別日本的なるものの上に設定しようとする意志を感じる。彼が花鳥諷詠を肯定したのもそういう理由からであったと思う。『朝日文庫・中村草田男』(1984)所収。(今井 聖)
April 252013
春惜しむ兎の耳の冷たさに
澤 好摩
ウサギの耳は本当に冷たいのだろうか。熱燗の熱さに「アチッ」っと耳を触る仕草をする場面がドラマなんかには出てくるけど、人間の耳たぶ同様冷たいのかも。辻まことの「けもの捕獲法」の狩人の話に「兎は耳がちっと長え。なぜ長えかというと、ヤツは目が近目でな、つまり目がわりいすけ自ずと音でモノをききわけるだな」とあり、遠くからでかい声で「ウサギー」を呼ぶ、だんだん間合いを詰めながら声を小さくしていくと、ウサギは馬鹿な人間が見当違いな方向に行っていると思う、最後に耳元で蚊のなくような声で「ウサギー」とささやくと、すっかり安心して目をつぶる、そこを耳をつまみあげて捕まえる。とあったけど、本当かなぁ。春全体のほんわかした空気が兎全体の毛の柔らかさだとすると、耳の冷たさには、時々思い出したようにぶりかえしてくる春の寒さかも。過ぎさってゆく季節の端境にある微妙な寂しさが「兎の耳の冷たさに」託されているように思う。『澤好摩句集』(2009)所収。(三宅やよい)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|