本日の句の観賞が抜けています。しばらくお待ちください。(哲




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April 1742013

 春眠や頭の中に馬の声

                           藤原龍一郎

眠は快い眠りであり、所在なくいつまでもうつらうつらしていたい。どっぷりとした深い眠りではなく、ぬるい眠りである。「馬の声」とは嘶きのことであろう。それを敢えて「馬の声」としたところがおもしろい。馬の声をあたりまえに耳で聞いているのではなく、「頭の中」に声があるというところに、この作者らしい工夫が感じられる。鼻息荒い「馬の声」ではなく、春だからおそらく穏やかなのであろう。穏やかな嘶きが、快く眠っている頭の中を行きつ戻りつしているのかもしれない。「駄句駄句会」(宗匠:山藤章二)で投句された一句である。句会の席では「馬の声」ではなく、「お侍」や「カトちゃん、ぺ」「犬の声」がいいなどと、他の人たちから勝手な意見が出たようだが、龍一郎は「『頭の中に』と言っちゃうと、下に何が来ても想像してくれる、という利点がありますね」と説いている。宗匠が思わず「ユニー句」とうなったようだ。龍一郎は歌人だが、俳句(俳号:媚庵)をはじめ、落語評論、ラジオ番組のディレクター、出版、電脳日記ほか、幅広く活躍しているユニークな才人。他に「湯たんぽを足で探るや四畳半」を別な時に投句している。歌集に『花束で殴る』『楽園』などがある。「駄句ばかり集めた本」と宗匠が自称する『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


April 1642013

 春月の弦やはらかく傾きぬ

                           宮木忠夫

弦と下弦の具合がいまひとつ分からない。月を弓に見立てたときの弦が上を向いているか、下を向いているか。昇るときに上に向いた弦は、沈むときには下へ向くのだからなおのこと混乱する。調べてみると、満月に向かうときの半月を上弦、新月に向かうときの半月を下弦というらしい。一度はしっかり理解しなくては……と調べるのだが、調べるほどに無粋に思われて、いつも挫折をしてしまう。長谷川町子の『サザエさんうちあけ話』で、サザエさんの連載中読者から「何月何コマの絵は満月だったが、上弦の月でなければおかしい」という投書を紹介した際の絵が、今度は「上弦の月の絵がおかしい」との指摘が入り、「ダブルエラーですみません」と作者が深々と頭を下げている図がある。それはまるでこの鑑賞を何度も書き直している自分の姿にも重なる。とにもかくにも春月は、しっとりと水分をたっぷりと含んだほのぼのと淡く霞む月である。夜空をめぐるそのとき、身にまとう水分にうっとりと杯が傾くがごときに見えるのだ。というわけで、今宵は月齢5.7の月。『初雁』(2013)所収。(土肥あき子)


April 1542013

 竹秋や盛衰もなきわが生家

                           山田弘子

先になると、竹の葉は黄ばんでくる。地下の筍に養分を吸い取られるせいだ。この現象を、他の植物の秋枯れになぞらえて「竹の秋」と言う。枯れた葉がみな散ってしまい丸裸になるような植物に比べれば、竹の秋の変化などは盛衰とは言えぬほどのそれである。同じように、竹やぶを控えたわが生家も、ほとんど何事も起こることなく、長い時間を経過してきた。いつ来て見ても、昔のままのたたずまいであり、住んでいる家族も変わらない。そんな情景をそのままに詠んだ句ではあるが、作者の内心には盛衰のない生家にも、いつかは大きな変化が訪れることを不安に思う気持ちがあるような気がする。今後、「盛」はないかもしれないけれど、いつの日かの「衰」は避け難いだろう。この春はひとまず安泰の生家を見つめながら、作者の心境にはおだやかだけとは言いきれないところがありそうだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)




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