昨夜から風雨が強まってきた東京。静かな日曜日を楽しみましょう。(哲




2013ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742013

 鯛よりも目刺のうまさ知らざるや

                           鈴木真砂女

のある真砂女の声が届いています。「知らざるや」という言い切りに、軽い怒り、あるいは戒めを聞き取ります。店主をつとめた銀座「卯浪」の常連客に向けた本音のようでもあります。たしかに鯛は、お造りにしてよし、握り、かぶら蒸し、鯛茶漬という贅沢もあり、晴れがましい和食の席には欠かせない食材です。しかし、それらは華美な器に盛られる料理でもあり、実よりも名が勝っているのだ、という声を聞き取ります。ちなみに、食材としてのタイ科の魚はマダイ、クロダイですが、タイの名を冠された別種魚は、ブダイ、スズメダイをはじめとして、数十種類をこえ、これは全国にある○○銀座と同じあやかり方でしょう。ところで、目刺の句といえば、芥川龍之介の「こがらしや目刺しにのこるうみのいろ」が有名です。ただし、芥川の場合は目刺を見ている句なのに対し、真砂女は目刺を食っている。九十六歳まで生きた糧です。目刺は、小イワシを塩水に漬けたあと天日で干したもの。これを頭から骨ごと尾まで食い尽くす。真砂女の気丈はここで養われ、同時に、目刺のように白日に身をさらしてきた天然の塩辛い生きざまと重なります。鯛には養殖物も多く出ていますが、目刺にそれはありません。ほかに「目刺焼くくらし可もなく不可もなく」「目刺焼く火は強からず弱からず」「目刺し焼けば消えてしまひし海の色」「目刺し焼くここ東京のド真中」「海の色連れて目刺のとどきけり」「締切りの迫る目刺を焦がしけり」。いよいよ真砂女が、目刺の化身に見えてきました。『鈴木真砂女全句集』(2010)所収(小笠原高志)


April 0642013

 花時の竹輪の芯は穴なりし

                           雪我狂流

々に咲きながらいつまでも散らなかった東京の桜、長い花時だった。うららかな花見日和にはあまり恵まれなかったが長かった分、花筵を広げる機会は多かったかもしれない。ちくわは、ちょっとお花見に持っていくおつまみには手軽でよい。そんな花筵の上で浮かんだ一句なのだろうか、考えれば考えるほど何やらおもしろく印象に残っている。「芯」を広辞苑で調べると、「心」の(3)に同じ、とあり、(3)は、物のまん中、物の中央の(固い)部分、かなめ、などとなっている。ちくわの穴は芯なりし、だとちくわを作る行程なのだが、逆だと、どこか哲学的な気分にさせられる。花時の、と軽く切れて、ちょっとざわざわした心地のまま、思わずちくわの穴から空を覗いてしまいそうだ。『俳コレ』(2011・邑書林)所載。(今井肖子)


April 0542013

 肛門が口山頭火忌のイソギンチャク

                           ドゥーグル・J・リンズィー

うか、肛門イコール口の生物もいるんだ。それが山頭火の生き方と重なる。なんて大胆で微妙な比喩だろう。山頭火の風貌や生き方、その短所も長所もひっくるめての肛門イコール口だ。こういう句はアタマの発想では出てこない。言葉から発する連関では出てこない。実際のイソギンチャクを目の前にして、じっと見て、見尽くして出てくる発想だ。もちろん知識も動員されている。この句を見たら芭蕉も子規も茂吉もうなずくに違いない。虚子はどうかなあ。『平成名句大鑑』(2013)所載。(今井 聖)




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