阪神は苦手中日との3連戦。今季の行く手を占う大事な試合だ。(哲




2013N42句(前日までの二句を含む)

April 0242013

 受験子に幼き日あり合格す

                           伊藤敬子

在暮らしている地域にはいくつかの女子大があるせいか、若い女性のたてる小鳥のような笑い声がいつも身近にある。日頃、大学前のバス停を利用していることもあり、受験や合格発表など、一喜一憂する姿にも触れる機会が多い。この時期面差しの似通った母娘らしいふたり連れが地図を片手に歩いているのをたびたび見かけるが、おそらくこれから暮らす町の下見をしているのだろう。生まれてから、育ち、巣立つまでに支え続けるたくさんの手から、新しい明日へと送りだされる。合格の喜びは、当事者が未来を見つめるのに対し、掲句は過去へと思いを寄せる視線である。十代には十年十五年という歳月ははるか彼方の遠い日々だが、大人にとってはつい昨日のようなできごとである。この町にも来週には親元を離れた瑞々しい新入生たちがあふれるだろう。大きな鞄を抱えて緊張のほどけぬ顔も、一ヶ月もしないうちにすっかりなじんでしまうのだから、若者の順応力とはすばらしい。一方、東京で暮らす娘たちに不安でたまらない郷里の親御さんを思うと「まめに連絡してあげて」と願わずにはいられない。『びょう茫』(2013)所収。※句集名「びょう」は水が三つ重なった機種依存文字。(土肥あき子)


April 0142013

 入学式の真中何か落ちる音

                           衣斐しづ子

賓などの祝辞や挨拶がつづくなか、静かな入学式場の真ん中あたりから、いきなり何かが落ちた音がした。一瞬ざわめきのように周囲の空気が揺れて、しかしその後は何事もなかったように、式が進行していく。いったい、何がどんな弾みで落下したのか。しばらく気にしていた作者も、やがてそんなことは忘れてしまう。が、後に入学式のことを思い出すたびに、必ずこの不思議な音も思い出すのだから、すっかり忘れてしまったというわけではない。いや、年月を経るにつれて、だんだん思い出すのはこの音のことばかりになってきた。こういうことは、記憶のメカニズムにはありがちだろう。小学校から大学まで、私も入学式には出席したけれど、式のメインである校歌斉唱や祝辞などは何一つ覚えていない。覚えているのは、記念撮影のときに乗った教壇がいまにも壊れそうに古ぼけていたこととか……。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所収。(清水哲男)


March 3132013

 休日を覆ひ尽くしてゐる桜

                           今井肖子

開の桜並木の全体を、構図の中に納め切っています。花の下にいる休日の人々は花に覆い尽くされ、俯瞰した視点からは桜ばかり。一句は、屏風絵のような大作になっています。「桜」を修飾している四文節のうち三文節が動詞で、意味上の主語である「桜」は、「覆ひ+尽くして+ゐる」という過剰な動詞によって、大きく、絢爛に、根を張ることができています。なるほど、桜を描くには形容詞では負けてしまう、動詞でなければ太刀打ちできない名詞であったのかと気づかされました。句集には、掲句同様、率直かつ大胆な構図の「海の上に大きく消ゆる花火かな」があります。蕪村展、ユトリロ展、スーラ展、探幽展からモチーフを得た句も並び、中でも前書きにモネ展の「春光やモネの描きし水動く」は、睡蓮の光を見つめるモネの眼遣いを追慕しているように読み取れます。こういうところに、作者の絵心が養われているゆえんがあるのでしょう。『花もまた』(2013)所収。(小笠原高志)




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