三月も今日でおしまい。呆然としているうちに時が過ぎてゆく。(哲




2013ソスN3ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3132013

 休日を覆ひ尽くしてゐる桜

                           今井肖子

開の桜並木の全体を、構図の中に納め切っています。花の下にいる休日の人々は花に覆い尽くされ、俯瞰した視点からは桜ばかり。一句は、屏風絵のような大作になっています。「桜」を修飾している四文節のうち三文節が動詞で、意味上の主語である「桜」は、「覆ひ+尽くして+ゐる」という過剰な動詞によって、大きく、絢爛に、根を張ることができています。なるほど、桜を描くには形容詞では負けてしまう、動詞でなければ太刀打ちできない名詞であったのかと気づかされました。句集には、掲句同様、率直かつ大胆な構図の「海の上に大きく消ゆる花火かな」があります。蕪村展、ユトリロ展、スーラ展、探幽展からモチーフを得た句も並び、中でも前書きにモネ展の「春光やモネの描きし水動く」は、睡蓮の光を見つめるモネの眼遣いを追慕しているように読み取れます。こういうところに、作者の絵心が養われているゆえんがあるのでしょう。『花もまた』(2013)所収。(小笠原高志)


March 3032013

 山ざくら一樹一樹の夕日かな

                           細見綾子

冷の東京、今週中には雨の予報も出ているので、土曜日には花も終わっているだろうな、と思いながら書いている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)は、梅に始まり、椿、桜、と続く。桜の句は、初花から残花まで数百句、その中に静かに掲出句があった。昨年の吉野山、初めて出会った満開の山桜を思い出す。まさに一樹一樹、少しずつ違う花の色と木の芽のうすみどりが、山を覆い花の谷となって重なり合っていた。仄白い花に映る夕日、紅の兆す花を照らす夕日、彩を織りなす花の山々の彼方にやがて日は落ちて、また新しい花の朝を迎える。夕日を見つめながら、今日の桜を心に刻んでいる作者なのである。(今井肖子)


March 2932013

 天皇も老斑もたす桜かな

                           田川飛旅子

初読んだときはなんて世間的常識に乗った句だろうと思ったのだった。周知のごとく天皇は敗戦までは「現人神」であられた。負けたら「人間」になられた。その「常識」を踏まえて人間なんだから老斑も持たれるのだと詠んだ。俗臭ぷんぷんの述懐だなあと。最近はこの句が違ってみえてきた。田川さんは大正3年生まれ。昭和15年に応召。海軍大尉に昇進後、海軍少将橋本信太郎の娘信子さんを娶る。その義父は戦隊司令官として重巡羽黒に乗艦しペナン沖にて戦死。田川さんは職業軍人ではなかったが、軍幹部に見込まれた軍国日本のエリートの立場でもあった。そういう世代や立場の人にとって「天皇」という存在がどのように「現人神」であったかということについては戦後生まれの人間の理解と想像を超えるところがある。田川さんは東大出だが、当時の知識人としてそういう「常識」といかに折り合いをつけていたのだろうか。兵は死に瀕したとき天皇陛下万歳ではなく「お母さん」と叫んだというのも「戦後民主主義」によってつくられた意図的な「俗説」臭い。お母さんではなくて「天皇陛下万歳」と心から叫んだ兵も多かったはずである。それは軍国教育による悲劇(喜劇)と言ってしまっていいのか。「天皇の老斑」の問題は今も終わっていないように思える。『邯鄲』(1975)所収。(今井 聖)




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