選抜がはじまった。見だすとキリがないけれど、やっぱり見よう。(哲




2013ソスソスソス3ソスソスソス23ソスソスソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2332013

 ピーちゃんを埋むる穴に椿敷く

                           箭内 忍

が家の庭の片隅にも、ハムスターのチップと金魚のキンキラが眠っていた。三年前に建て替える時は、神主さんにお願いしてその辺りを入念に祓っていただいたが、そっとのぞいても何も見あたらなく、ほっとしたようなさびしいような、そんな思いがした。チップを埋葬した時は、小学生だった姪が、好物だけどたくさんやってはだめと言われていたひまわりの種を敷いてやった、掲出句と比べるとずいぶん現実的だ。椿は庭の片隅にありその下は仄暗く、あたり一面に花が落ちていたのだろう。ふれるとやわらかいその花を冷たい土の上に敷き詰めて、そっとピーちゃんを寝かせてやる。白い文鳥なら花の紅が引き立ち、花が白ならばなお清らかだ。まだ寒さの残る今頃になると、この句と共にピーちゃんを思う作者なのだろう。『シエスタ』(2008)所収。(今井肖子)


March 2232013

 櫻のはなし採寸のあひだぢう

                           田中裕明

明な句で日常詠である。「もの」の写生ではなくて事柄のカット。採寸の場には、採寸する人とされる人と二人しかいない可能性が高いのだからその両者の会話だろう。作者がその会話を聞いていたのではないとするなら、作者はされる側の人である。吊るしを買わずオーダーの服であるから懐に多少の余裕のある状況もわかる。僕は昔ブティックで働いていたので採寸をする人であった。採寸をする側は客の話題におあいそをいう。機嫌をそこねないように話を合わせるのである。採寸をする側とされる側の櫻のはなしから両者の立場や生活が次第に浮き彫りになっていく。人間社会を描くとあらゆる角度からその人間に近づく工夫ができる。自然も面白いけど人間はもっと面白い。『セレクション俳人・田中裕明集』(2003)所収。(今井 聖)


March 2132013

 春昼や魔法の利かぬ魔法壜

                           安住 敦

法壜とは懐かしい言葉だ。「タイガー魔法瓶」などは会社の正式名に入っているところはともかくも日常生活で魔法壜という言葉にお目にかかる機会はほとんどない。今は「瓶」と「壜」の漢字の使い分けに正確な違いはないようだが、ガラスとの連想で言うなら「曇る」という字を含んだ「壜」がより好ましく感じられる。湯沸かしポットが登場して以来卓上に置いてあった魔法壜は姿を消してしまった。昔の魔法壜は内側がガラスで割れやすく、遠足で友達の魔法壜仕様の水筒を落として割ってしまった苦い思い出がある。昭和30年代当時は小学生が持つ水筒としては高級品だった。お湯が長い間冷めないからと「魔法壜」なんだろうが掲句の魔法壜はすぐお湯が冷めてしまうのか?リフレインを含んだ言回しと、ちょっと間延びしたなまぬるい春昼の雰囲気とがよく馴染んでいる。「日本大歳時記」(1983)所載。(三宅やよい)




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