2013N321句(前日までの二句を含む)

March 2132013

 春昼や魔法の利かぬ魔法壜

                           安住 敦

法壜とは懐かしい言葉だ。「タイガー魔法瓶」などは会社の正式名に入っているところはともかくも日常生活で魔法壜という言葉にお目にかかる機会はほとんどない。今は「瓶」と「壜」の漢字の使い分けに正確な違いはないようだが、ガラスとの連想で言うなら「曇る」という字を含んだ「壜」がより好ましく感じられる。湯沸かしポットが登場して以来卓上に置いてあった魔法壜は姿を消してしまった。昔の魔法壜は内側がガラスで割れやすく、遠足で友達の魔法壜仕様の水筒を落として割ってしまった苦い思い出がある。昭和30年代当時は小学生が持つ水筒としては高級品だった。お湯が長い間冷めないからと「魔法壜」なんだろうが掲句の魔法壜はすぐお湯が冷めてしまうのか?リフレインを含んだ言回しと、ちょっと間延びしたなまぬるい春昼の雰囲気とがよく馴染んでいる。「日本大歳時記」(1983)所載。(三宅やよい)


March 2032013

 春暁の土をざくりと掘り起す

                           小田 実

は曙……と「枕草子」の冒頭にある。暁は曙よりも時間的には早い。「冬来たりなば春遠からじ」とか「春眠あかつきをおぼえず」といった言葉は、もうお馴染みである。東の空が白みはじめる早朝、畑に出て土を掘り起す(畑と限らなくてもいいが)、土の上に立った晴ればれとした気持ち良さを、たまらずズバリ詠んだものであろう。「ざくり」がいかにもダイナミックであり、春早朝のこころの健やかな気合いが感じられる。掲句は、小田実が黒田杏子に宛てた手紙に、自ら引用した少年時代の俳句である。亡くなる五カ月前に書かれたこの手紙は、杏子の『手紙歳時記』(2012)に引用されている。「実を言うと、昔、少年時代、「俳句少年」でした。短歌は性に合わず、俳句をつくっていました。からだが大きかったので、まだ中学生なのに、大学生になりすまして、大人達の吟行に参加したこともありました」とある。「短歌は性に合わず」は頷けるけれど、彼が「俳句少年」だったことは、あまり知られていないのではあるまいか。小田実を悼んだ杏子の句に「夏終る柩に睡る大男」がある。(八木忠栄)


March 1932013

 瞑ることなきマンボウの春の夢

                           坊城俊樹

袋サンシャイン水族館で生まれて初めて泳いでいるマンボウを見たときは、長蛇の列の末のパンダより大きな衝撃を受けた。なにしろその巨大な魚は生きものとしてどう見ても不自然なのである。胸から後ろがぷつりと切れているような姿で、泳ぐというよりただそこに居る。水流にまかせてぼーっとしているだけなら、尾びれなど必要ないと進化の段階であっさり手放したのだろうか。水槽にはビニールの内壁が作られており、それは硝子面に衝突して死に至るケースがあるというマンボウへの配慮であった。こんなぼんやりした生きものがよくもまぁこれほど大きくなるまで生き延びたものだと怪訝に思っていると、なんと三億という途方もない数の卵を生むのだという。ともかく多く生むことで種を保つという方針を選択したのだ。眠るでもなく、起きるでもなく、ひたすら海中を浮遊し、時折海面にぶかりと浮かんで海鳥とたわむれる彼らの生きかたは、たとえるなら春が永遠に続くようなものだろう。マンボウの身はまことにとらえどころなく、淡くうららかな夢のような味だという。〈絵踏してよりくれなゐの帯を解く〉〈肩車しては桜子桜人〉『日月星辰』(2013)所収。(土肥あき子)




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