彼岸の中日。まもなく母の一周忌なので、墓参りはその折りに。(哲




2013ソスN3ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2032013

 春暁の土をざくりと掘り起す

                           小田 実

は曙……と「枕草子」の冒頭にある。暁は曙よりも時間的には早い。「冬来たりなば春遠からじ」とか「春眠あかつきをおぼえず」といった言葉は、もうお馴染みである。東の空が白みはじめる早朝、畑に出て土を掘り起す(畑と限らなくてもいいが)、土の上に立った晴ればれとした気持ち良さを、たまらずズバリ詠んだものであろう。「ざくり」がいかにもダイナミックであり、春早朝のこころの健やかな気合いが感じられる。掲句は、小田実が黒田杏子に宛てた手紙に、自ら引用した少年時代の俳句である。亡くなる五カ月前に書かれたこの手紙は、杏子の『手紙歳時記』(2012)に引用されている。「実を言うと、昔、少年時代、「俳句少年」でした。短歌は性に合わず、俳句をつくっていました。からだが大きかったので、まだ中学生なのに、大学生になりすまして、大人達の吟行に参加したこともありました」とある。「短歌は性に合わず」は頷けるけれど、彼が「俳句少年」だったことは、あまり知られていないのではあるまいか。小田実を悼んだ杏子の句に「夏終る柩に睡る大男」がある。(八木忠栄)


March 1932013

 瞑ることなきマンボウの春の夢

                           坊城俊樹

袋サンシャイン水族館で生まれて初めて泳いでいるマンボウを見たときは、長蛇の列の末のパンダより大きな衝撃を受けた。なにしろその巨大な魚は生きものとしてどう見ても不自然なのである。胸から後ろがぷつりと切れているような姿で、泳ぐというよりただそこに居る。水流にまかせてぼーっとしているだけなら、尾びれなど必要ないと進化の段階であっさり手放したのだろうか。水槽にはビニールの内壁が作られており、それは硝子面に衝突して死に至るケースがあるというマンボウへの配慮であった。こんなぼんやりした生きものがよくもまぁこれほど大きくなるまで生き延びたものだと怪訝に思っていると、なんと三億という途方もない数の卵を生むのだという。ともかく多く生むことで種を保つという方針を選択したのだ。眠るでもなく、起きるでもなく、ひたすら海中を浮遊し、時折海面にぶかりと浮かんで海鳥とたわむれる彼らの生きかたは、たとえるなら春が永遠に続くようなものだろう。マンボウの身はまことにとらえどころなく、淡くうららかな夢のような味だという。〈絵踏してよりくれなゐの帯を解く〉〈肩車しては桜子桜人〉『日月星辰』(2013)所収。(土肥あき子)


March 1832013

 強風や原発の底に竹の根

                           夏石番矢

どもの頃「地震のときは竹やぶに逃げろ」と教わった。関東大震災で怖い目に遭った母親からだったかもしれない。たしかに竹やぶのある土地は、竹の根が張り巡らされているので、少々の地震くらいではびくともしないように思える。しかしそれは表面に近い土地の部分について言えることであり、地下深くの竹の地下茎が腐って水を含み地盤沈下の原因になることが多いと言われている。つまり、竹やぶは決して地震に強いとは言えないわけだ。原発周辺の竹やぶをざわざわと揺さぶっている不気味な強風のなかで、作者はこの言い伝えを思い出したのだろう。そして原発の底に触れている無数の竹の根を想像している。一見頑丈そうなその環境が、実はそうではないと知っている作者は、とくに福島原発がダメージを受けた後だけに、不安な気持ちを押し隠すことができないでいる。この句を拡大解釈しておけば、すべての世の安全対策に対する疑念ないしは皮肉を提出しているということになるだろう。『ブラックカード』(2012)所収。(清水哲男)




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