三月も今日で半分が経過。早いなあ。近所の辛夷が花盛りです。(哲




2013ソスN3ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1632013

 合作の壁画振り向き卒業す

                           花田いつ枝

年もこの季節がやって来た。自分自身の卒業の思い出はあまりに遠く、ほとんど記憶にないが、最初に卒業生を送り出した時のことはさまざまな場面と共に記憶に刻まれている。初めての袴が意外と楽だったことから、読み上げる時唯一つっかかってしまった生徒の名前まで、おそらく一生忘れないが、〈卒業の涙はすぐに乾きけり〉(今橋眞理子)の明るさが、卒業という別れの本質だろう。掲出句、見送っている教師として読んでも、一緒に校門を出ようとしている家族として読んでも、合作の壁画は、つと振り向いたその子をはじめとする一人一人を育てた、悲喜こもごもの月日を象徴している。最後に振り向いて、あとはただ前を向いて進んでほしい、と願うのみ。『海亀』(2012)所収。(今井肖子)


March 1532013

 田打ち花歩かされては牛買はれ

                           柴田百咲子

号ひゃくしょうしと読む。牛を市場で次々と歩かせて見せて値が付き買われていく。田打ち花は辛夷の花の俗称。田打ちの頃に咲くからということでついた呼び方だろう。この季語が活き活きとはたらいていることは田打ち花を「花辛夷」と置き換えてみるとよくわかる。「花辛夷歩かされては牛買はれ」。歩かされては買はれの「哀感」だけが強調されてツボどころを心得た巧みな句になる。花辛夷をうまく斡旋しましたねという感じ。言い換えれば巧みさだけが目立つ句。田打ち花とすることでその地に生きる実感が湧いて見えてくる。楸邨は歳時記を「死んだ言葉の陳列棚」と言った。陳列棚から選んできて句に嵌めこむという「操作」には、表現と自分とののっぴきならない関係が生じない。そのとき、その瞬間の自然に触れて得られた感動が表現の核になるべきだと。百咲子さんはまぎれもなく楸邨理念の実践者だ。「寒雷」(1972・9月号)所載。(今井 聖)


March 1432013

 鶴帰るとき置いてゆきハルシオン

                           金原まさ子

ルシオンは睡眠薬。ごく普通に処方される薬のようで海外旅行に行くとき、季節の変わり目などで寝つきが悪いときなど私も処方してもらった覚えがある。なんと言っても「ハルシオン」という音の響きの良さ、楽曲や芝居の題名のようだ。鶴の優雅さと白妙の羽の白さが睡眠薬の錠剤の色を連想させる。鶴が置いてゆくハルシオンは良く効きそうだ。西東三鬼の句に「アダリンが白き軍艦を白うせり」という句があるが、アダリンは芥川龍之介も用いていたらしい。昔の睡眠薬は強い副作用を伴ったようだが最近はだいぶ改良されたと聞く。それでも睡眠薬という言葉は不安定な心の在り方と「死」を連想させる。神経を持つ動物は必ず眠るというが、自然に眠れなくなるのは動物としての機能が阻害され、脳が覚醒してしまうことで、眠りを意識して不眠が昂じるとはやっかいなことだ。掲句には「うつせみの世は夢にすぎず/死とあらがいうるものはなし」とヴィヨンの「遺言詩集」の言葉が添えられている。『カルナヴァル』(2013)所収。(三宅やよい)




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