大学の卒業式には出なかった。三月から雑誌社で働いていたので。(哲




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March 1532013

 田打ち花歩かされては牛買はれ

                           柴田百咲子

号ひゃくしょうしと読む。牛を市場で次々と歩かせて見せて値が付き買われていく。田打ち花は辛夷の花の俗称。田打ちの頃に咲くからということでついた呼び方だろう。この季語が活き活きとはたらいていることは田打ち花を「花辛夷」と置き換えてみるとよくわかる。「花辛夷歩かされては牛買はれ」。歩かされては買はれの「哀感」だけが強調されてツボどころを心得た巧みな句になる。花辛夷をうまく斡旋しましたねという感じ。言い換えれば巧みさだけが目立つ句。田打ち花とすることでその地に生きる実感が湧いて見えてくる。楸邨は歳時記を「死んだ言葉の陳列棚」と言った。陳列棚から選んできて句に嵌めこむという「操作」には、表現と自分とののっぴきならない関係が生じない。そのとき、その瞬間の自然に触れて得られた感動が表現の核になるべきだと。百咲子さんはまぎれもなく楸邨理念の実践者だ。「寒雷」(1972・9月号)所載。(今井 聖)


March 1432013

 鶴帰るとき置いてゆきハルシオン

                           金原まさ子

ルシオンは睡眠薬。ごく普通に処方される薬のようで海外旅行に行くとき、季節の変わり目などで寝つきが悪いときなど私も処方してもらった覚えがある。なんと言っても「ハルシオン」という音の響きの良さ、楽曲や芝居の題名のようだ。鶴の優雅さと白妙の羽の白さが睡眠薬の錠剤の色を連想させる。鶴が置いてゆくハルシオンは良く効きそうだ。西東三鬼の句に「アダリンが白き軍艦を白うせり」という句があるが、アダリンは芥川龍之介も用いていたらしい。昔の睡眠薬は強い副作用を伴ったようだが最近はだいぶ改良されたと聞く。それでも睡眠薬という言葉は不安定な心の在り方と「死」を連想させる。神経を持つ動物は必ず眠るというが、自然に眠れなくなるのは動物としての機能が阻害され、脳が覚醒してしまうことで、眠りを意識して不眠が昂じるとはやっかいなことだ。掲句には「うつせみの世は夢にすぎず/死とあらがいうるものはなし」とヴィヨンの「遺言詩集」の言葉が添えられている。『カルナヴァル』(2013)所収。(三宅やよい)


March 1332013

 鍋釜を逆さに干せば春景色

                           清水哲男

ろんな「春景色」がある。目の付け方にもいろいろある。寒さからようやく解放されて、さまざまなものが活性化しはじめる春。そんなに激しくはなく、むしろやわらかな活性化と言ったほうがふさわしい。掲句に接して、すっかり忘れていた昔のある光景を思い出した。ーー春の昼下がり、食事が済んだあとの鍋釜を母が家の裏を流れている小川で洗って、お天気がいいから川べりの大きな石か何かの上に、逆さにして干しておくことがあった。そんな様子を目にして、いかにも春だなあと子ども心にもウキウキしていたものである。鍋釜でも食器でも、洗ったものは伏せて乾かす。農村暮らしも経験している哲男が詠んだのは、おそらくそれに近い景色だったかもしれない。庶民のつつましい生活が、天日に無造作に干してある鍋釜からも感じとることができる。その光景は庶民のしばしの平穏を語っているようでもある。掲句について、金子兜太は「軽い微笑みを誘い、春の麗らかな景色を引立てています。諧謔の持ち込み方がうまいですね」と評価している。哲男の鍋の句に「鍋底に豚肉淡く春の雨」がある。いずれも余計な力がこめられていないところに注目。『兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)




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