Appleよ、お前もか。「青空文庫」をエサにする電子書籍業界。(哲




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March 0732013

 ぶつかって蝶が生まれる土俵かな

                           小倉喜郎

よいよ春場所が始まる。先場所は日馬富士が全勝優勝したが今場所はどうだろう。昔地方に住んでいて、毎日中入り前から相撲中継を見ていたときには一度本物の勝負を見てみたいものだと思っていた。東京にきてその気があればいつでも両国国技館へ行けるのになかなか腰が上がらない。実際見に行った人の話では張り切った力士の身体と身体のぶつかる音、組むうちにだんだん赤みを帯びてゆく肌の色など臨場感にあふれたものらしい。やっぱり何でもライブが一番。立ち会いのぶつかり合うその瞬間、火花ではなくひらひら紋白蝶など生まれる発想が奇想天外のようで説得力があるのは柔らかな力士の肉体がイメージとしてあるからか、など掲句を眺めながら考えている。『あおだもの木』(2012)所収。(三宅やよい)


March 0632013

 ぬかるみに梅が香低う流れけり

                           小津安二郎

は春にいち早くその香を放つから「春告草」とも「香栄草」とも呼ばれ、他の花にさきがけて咲くところから、「花の兄」と呼ばれることもある。よく知られている通り『万葉集』では、あの時代「花」と言えば梅の花のことだった。春先のぬかるみにもかかわらず、梅の香があたりに広がっているのだろう。梅を愛でる人たちも、高い香のせいでぬかるみが苦にならなくて、そぞろ歩いているようである。「梅が香低う」というとらえ方が、いかにも小津映画独特のロー・アングルやロー・ポジションに通じるところがあって、なるほど興味深い。低いカメラ目線で安二郎は、流れる梅が香をじっくり追っているようにさえ感じられる。小津映画で梅の花が実際どのように扱われていたか、今咄嗟に思い出せないのが残念だけれど、『早春』という作品で、アパートで麻雀に興じていた連中(高橋貞二、他)が「湯島の白梅」を歌い出すシーンが確かあった。小津は二十代に俳句を始め、蕪村の句を好んだという。他に「行水やほのかに白し蕎麦の花」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 0532013

 しやぼん玉兄弟髪の色違ふ

                           西村和子

は父親に似て、息子は母親に似るものだとよく言うが、自分と弟を引き比べてみても、確かにその通りだと思う。同性の兄弟、姉妹の場合も、大小の違いだけではなく、どちらかが父親と母親の面差しの影響を大きく受けているようだ。掲句では、きらきら輝くしゃぼん玉を見つめることによって、光のなかの兄弟の違いを際立たせる。小さな兄弟が異なる人格を持っていることは当然でありながら、作者はどこか不思議な気持ちで眺めている。そして、髪の色の差は、父と母という存在を見え隠れさせ、健やかにつながっていく世代のたくましさも感じさせているのだ。ところで髪といえば、『メアリー・ポピンズ』のなかで、髪をストレートにするか、カールにするか、赤ん坊のとき春風に頼むのだという話しがあり、「ああ、自分は頼み忘れたに違いない」とがっかりした覚えがある。今でも、毛先がくるっと巻いた小さい子を見ると「この子はちゃんと頼んだのね」と思うほどだ。『季題別 西村和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)




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