東京地方、今日からぐんと気温が上がるようだ。ようやく「春」。(哲




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March 0632013

 ぬかるみに梅が香低う流れけり

                           小津安二郎

は春にいち早くその香を放つから「春告草」とも「香栄草」とも呼ばれ、他の花にさきがけて咲くところから、「花の兄」と呼ばれることもある。よく知られている通り『万葉集』では、あの時代「花」と言えば梅の花のことだった。春先のぬかるみにもかかわらず、梅の香があたりに広がっているのだろう。梅を愛でる人たちも、高い香のせいでぬかるみが苦にならなくて、そぞろ歩いているようである。「梅が香低う」というとらえ方が、いかにも小津映画独特のロー・アングルやロー・ポジションに通じるところがあって、なるほど興味深い。低いカメラ目線で安二郎は、流れる梅が香をじっくり追っているようにさえ感じられる。小津映画で梅の花が実際どのように扱われていたか、今咄嗟に思い出せないのが残念だけれど、『早春』という作品で、アパートで麻雀に興じていた連中(高橋貞二、他)が「湯島の白梅」を歌い出すシーンが確かあった。小津は二十代に俳句を始め、蕪村の句を好んだという。他に「行水やほのかに白し蕎麦の花」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 0532013

 しやぼん玉兄弟髪の色違ふ

                           西村和子

は父親に似て、息子は母親に似るものだとよく言うが、自分と弟を引き比べてみても、確かにその通りだと思う。同性の兄弟、姉妹の場合も、大小の違いだけではなく、どちらかが父親と母親の面差しの影響を大きく受けているようだ。掲句では、きらきら輝くしゃぼん玉を見つめることによって、光のなかの兄弟の違いを際立たせる。小さな兄弟が異なる人格を持っていることは当然でありながら、作者はどこか不思議な気持ちで眺めている。そして、髪の色の差は、父と母という存在を見え隠れさせ、健やかにつながっていく世代のたくましさも感じさせているのだ。ところで髪といえば、『メアリー・ポピンズ』のなかで、髪をストレートにするか、カールにするか、赤ん坊のとき春風に頼むのだという話しがあり、「ああ、自分は頼み忘れたに違いない」とがっかりした覚えがある。今でも、毛先がくるっと巻いた小さい子を見ると「この子はちゃんと頼んだのね」と思うほどだ。『季題別 西村和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)


March 0432013

 出さざりし返信はがき冴返る

                           谷上佳那

かの会合への出欠を知らせる返信はがきだろう。ためらいなく出席か欠席を決められる場合はよいが、そうもいかないときには、本当に困る。出るべきか、それとも……などと逡巡しているうちに、投函の期限が来てしまう。こうなると出欠席の問題とはべつに、もう一つの重荷を背負ったような気持ちになり、気分が落ち込む。出欠を問うている相手側は、なんと非礼な……と思ったりするかもしれないけれど、返信する側にもそれなりの事情があるわけで、ぐずぐずと返事をのばしているうちに、こういうことになってしまうのだ。返事を出す側の善意の持って行き場所がなくなった結果が、これなのである。折りから寒さがぶり返してきて、それだけでも鬱然とするのに、心までもが寒くなってしまうとは。とかくこの世は厄介だ。『鳥眠る樹』(2012)所収。(清水哲男)




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