今回のWBCには気が乗らない。何故だろうか。(哲




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March 0532013

 しやぼん玉兄弟髪の色違ふ

                           西村和子

は父親に似て、息子は母親に似るものだとよく言うが、自分と弟を引き比べてみても、確かにその通りだと思う。同性の兄弟、姉妹の場合も、大小の違いだけではなく、どちらかが父親と母親の面差しの影響を大きく受けているようだ。掲句では、きらきら輝くしゃぼん玉を見つめることによって、光のなかの兄弟の違いを際立たせる。小さな兄弟が異なる人格を持っていることは当然でありながら、作者はどこか不思議な気持ちで眺めている。そして、髪の色の差は、父と母という存在を見え隠れさせ、健やかにつながっていく世代のたくましさも感じさせているのだ。ところで髪といえば、『メアリー・ポピンズ』のなかで、髪をストレートにするか、カールにするか、赤ん坊のとき春風に頼むのだという話しがあり、「ああ、自分は頼み忘れたに違いない」とがっかりした覚えがある。今でも、毛先がくるっと巻いた小さい子を見ると「この子はちゃんと頼んだのね」と思うほどだ。『季題別 西村和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)


March 0432013

 出さざりし返信はがき冴返る

                           谷上佳那

かの会合への出欠を知らせる返信はがきだろう。ためらいなく出席か欠席を決められる場合はよいが、そうもいかないときには、本当に困る。出るべきか、それとも……などと逡巡しているうちに、投函の期限が来てしまう。こうなると出欠席の問題とはべつに、もう一つの重荷を背負ったような気持ちになり、気分が落ち込む。出欠を問うている相手側は、なんと非礼な……と思ったりするかもしれないけれど、返信する側にもそれなりの事情があるわけで、ぐずぐずと返事をのばしているうちに、こういうことになってしまうのだ。返事を出す側の善意の持って行き場所がなくなった結果が、これなのである。折りから寒さがぶり返してきて、それだけでも鬱然とするのに、心までもが寒くなってしまうとは。とかくこの世は厄介だ。『鳥眠る樹』(2012)所収。(清水哲男)


March 0332013

 婚の荷をひろげるやうに雛飾る

                           猪俣千代子

どもの頃、姉を持つ弟としての雛祭は、白・桃色・緑色の雛あられが食べられるうれしい日でした。当時、広くはなかった居間に雛段を作り、赤い毛せんが敷かれ、人形が置かれると、男の子でもその周辺ではやんちゃな遊びはおのずと自制します。かつて、二月に入ってから三月三日まで、女の子がいる日本の家では雛人形が飾られていました。ところで、げんざい、バレンタインや クリスマスは一年の中でも一大イベントになっていますが、雛祭に関しては、さほど商業的な動きはないようです。雛祭はイベントではなく、代々、家の中で受け継がれてきた伝統だからでしょう。嫁入り道具として、実家からお伴を連れて来たような雛たちに、年に一度逢えるときでもあり、掲句には、そんな気持ちもあるのかもしれません。「婚の荷をひろげるやうに」とは、初々しさと覚悟のある、人生の節目の儀式を物語っているようです。節句には、同居の他者にもはっきりわかるような儀式性が必要で、それが赤い毛せんの段飾りと雛人形として家の中を一時、支配するのでしょう。雛人形を飾る心が受け継がれていくその伝統を、あらためて貴重なものだと思いました。以下蛇足。先月、那智勝浦と伊 勢の二見浦で雛祭スタンプラリーを見ました。商店や旅館には外から自由に出入りで来て、お雛様を観賞できました。「極めつけの名句1000」(2012・角川ソフィア文庫)所載。(小笠原高志)




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