むかしのひなまつり。「雪みちを雛箱かつぎ母の来る」(犀星)。(哲




2013ソスN3ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0332013

 婚の荷をひろげるやうに雛飾る

                           猪俣千代子

どもの頃、姉を持つ弟としての雛祭は、白・桃色・緑色の雛あられが食べられるうれしい日でした。当時、広くはなかった居間に雛段を作り、赤い毛せんが敷かれ、人形が置かれると、男の子でもその周辺ではやんちゃな遊びはおのずと自制します。かつて、二月に入ってから三月三日まで、女の子がいる日本の家では雛人形が飾られていました。ところで、げんざい、バレンタインや クリスマスは一年の中でも一大イベントになっていますが、雛祭に関しては、さほど商業的な動きはないようです。雛祭はイベントではなく、代々、家の中で受け継がれてきた伝統だからでしょう。嫁入り道具として、実家からお伴を連れて来たような雛たちに、年に一度逢えるときでもあり、掲句には、そんな気持ちもあるのかもしれません。「婚の荷をひろげるやうに」とは、初々しさと覚悟のある、人生の節目の儀式を物語っているようです。節句には、同居の他者にもはっきりわかるような儀式性が必要で、それが赤い毛せんの段飾りと雛人形として家の中を一時、支配するのでしょう。雛人形を飾る心が受け継がれていくその伝統を、あらためて貴重なものだと思いました。以下蛇足。先月、那智勝浦と伊 勢の二見浦で雛祭スタンプラリーを見ました。商店や旅館には外から自由に出入りで来て、お雛様を観賞できました。「極めつけの名句1000」(2012・角川ソフィア文庫)所載。(小笠原高志)


March 0232013

 猫の舌ふれて輪を描く春の水

                           檜山哲彦

解水を湛えた湖や川、春の水は豊かである。この句の場合は猫が飲んでいるのだから池なのか、飼い猫なら小さな器の中のわずかな水ということになる。猫はどんな風に水を飲むのだろう、と検索したら、一秒間に数回という速さで舌を上下させて、本能的に流体力学を利用して優雅に飲んでいるのだとある。動画を見たら、うすももいろの舌先が水面に繊細にふれるたび、水輪の同心円が次々に生まれていた。水が動けば光も動く。猫をやさしい眼差しで見守りながら、そんな小さな水にも春を感じている作者なのだろう。『天響』(2012)所収。(今井肖子)


March 0132013

 雪国やしずくのごとき夜と対す

                           櫻井博道

喩は詩の核だ。喩えこそ詩だ。しずくのごとき夜。絞られた一滴の輝く塊り。「対す」は向き合っているということ。耐えているんだな、雪国の冬に。この「や」は今の俳人はなかなか使えない。「や」があると意味が切れると教えられているから「の」にする人が多いだろうな、今の人なら。「の」にするとリズムの流れはいいけど「対す」に呼応しての重みが失われる。そういう一見不器用な表現で重みを出すってのを嫌うよね、このところは。こういうのを下手とカン違いする人がいる。そうじゃないんだな。武骨な言い方でしか出せない野太さってのがある。やっぱり巧いんだな、博道さん。「寒雷・昭和38年7月号」(1963)所載。(今井 聖)




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