2013N3句

March 0132013

 雪国やしずくのごとき夜と対す

                           櫻井博道

喩は詩の核だ。喩えこそ詩だ。しずくのごとき夜。絞られた一滴の輝く塊り。「対す」は向き合っているということ。耐えているんだな、雪国の冬に。この「や」は今の俳人はなかなか使えない。「や」があると意味が切れると教えられているから「の」にする人が多いだろうな、今の人なら。「の」にするとリズムの流れはいいけど「対す」に呼応しての重みが失われる。そういう一見不器用な表現で重みを出すってのを嫌うよね、このところは。こういうのを下手とカン違いする人がいる。そうじゃないんだな。武骨な言い方でしか出せない野太さってのがある。やっぱり巧いんだな、博道さん。「寒雷・昭和38年7月号」(1963)所載。(今井 聖)


March 0232013

 猫の舌ふれて輪を描く春の水

                           檜山哲彦

解水を湛えた湖や川、春の水は豊かである。この句の場合は猫が飲んでいるのだから池なのか、飼い猫なら小さな器の中のわずかな水ということになる。猫はどんな風に水を飲むのだろう、と検索したら、一秒間に数回という速さで舌を上下させて、本能的に流体力学を利用して優雅に飲んでいるのだとある。動画を見たら、うすももいろの舌先が水面に繊細にふれるたび、水輪の同心円が次々に生まれていた。水が動けば光も動く。猫をやさしい眼差しで見守りながら、そんな小さな水にも春を感じている作者なのだろう。『天響』(2012)所収。(今井肖子)


March 0332013

 婚の荷をひろげるやうに雛飾る

                           猪俣千代子

どもの頃、姉を持つ弟としての雛祭は、白・桃色・緑色の雛あられが食べられるうれしい日でした。当時、広くはなかった居間に雛段を作り、赤い毛せんが敷かれ、人形が置かれると、男の子でもその周辺ではやんちゃな遊びはおのずと自制します。かつて、二月に入ってから三月三日まで、女の子がいる日本の家では雛人形が飾られていました。ところで、げんざい、バレンタインや クリスマスは一年の中でも一大イベントになっていますが、雛祭に関しては、さほど商業的な動きはないようです。雛祭はイベントではなく、代々、家の中で受け継がれてきた伝統だからでしょう。嫁入り道具として、実家からお伴を連れて来たような雛たちに、年に一度逢えるときでもあり、掲句には、そんな気持ちもあるのかもしれません。「婚の荷をひろげるやうに」とは、初々しさと覚悟のある、人生の節目の儀式を物語っているようです。節句には、同居の他者にもはっきりわかるような儀式性が必要で、それが赤い毛せんの段飾りと雛人形として家の中を一時、支配するのでしょう。雛人形を飾る心が受け継がれていくその伝統を、あらためて貴重なものだと思いました。以下蛇足。先月、那智勝浦と伊 勢の二見浦で雛祭スタンプラリーを見ました。商店や旅館には外から自由に出入りで来て、お雛様を観賞できました。「極めつけの名句1000」(2012・角川ソフィア文庫)所載。(小笠原高志)


March 0432013

 出さざりし返信はがき冴返る

                           谷上佳那

かの会合への出欠を知らせる返信はがきだろう。ためらいなく出席か欠席を決められる場合はよいが、そうもいかないときには、本当に困る。出るべきか、それとも……などと逡巡しているうちに、投函の期限が来てしまう。こうなると出欠席の問題とはべつに、もう一つの重荷を背負ったような気持ちになり、気分が落ち込む。出欠を問うている相手側は、なんと非礼な……と思ったりするかもしれないけれど、返信する側にもそれなりの事情があるわけで、ぐずぐずと返事をのばしているうちに、こういうことになってしまうのだ。返事を出す側の善意の持って行き場所がなくなった結果が、これなのである。折りから寒さがぶり返してきて、それだけでも鬱然とするのに、心までもが寒くなってしまうとは。とかくこの世は厄介だ。『鳥眠る樹』(2012)所収。(清水哲男)


March 0532013

 しやぼん玉兄弟髪の色違ふ

                           西村和子

は父親に似て、息子は母親に似るものだとよく言うが、自分と弟を引き比べてみても、確かにその通りだと思う。同性の兄弟、姉妹の場合も、大小の違いだけではなく、どちらかが父親と母親の面差しの影響を大きく受けているようだ。掲句では、きらきら輝くしゃぼん玉を見つめることによって、光のなかの兄弟の違いを際立たせる。小さな兄弟が異なる人格を持っていることは当然でありながら、作者はどこか不思議な気持ちで眺めている。そして、髪の色の差は、父と母という存在を見え隠れさせ、健やかにつながっていく世代のたくましさも感じさせているのだ。ところで髪といえば、『メアリー・ポピンズ』のなかで、髪をストレートにするか、カールにするか、赤ん坊のとき春風に頼むのだという話しがあり、「ああ、自分は頼み忘れたに違いない」とがっかりした覚えがある。今でも、毛先がくるっと巻いた小さい子を見ると「この子はちゃんと頼んだのね」と思うほどだ。『季題別 西村和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)


March 0632013

 ぬかるみに梅が香低う流れけり

                           小津安二郎

は春にいち早くその香を放つから「春告草」とも「香栄草」とも呼ばれ、他の花にさきがけて咲くところから、「花の兄」と呼ばれることもある。よく知られている通り『万葉集』では、あの時代「花」と言えば梅の花のことだった。春先のぬかるみにもかかわらず、梅の香があたりに広がっているのだろう。梅を愛でる人たちも、高い香のせいでぬかるみが苦にならなくて、そぞろ歩いているようである。「梅が香低う」というとらえ方が、いかにも小津映画独特のロー・アングルやロー・ポジションに通じるところがあって、なるほど興味深い。低いカメラ目線で安二郎は、流れる梅が香をじっくり追っているようにさえ感じられる。小津映画で梅の花が実際どのように扱われていたか、今咄嗟に思い出せないのが残念だけれど、『早春』という作品で、アパートで麻雀に興じていた連中(高橋貞二、他)が「湯島の白梅」を歌い出すシーンが確かあった。小津は二十代に俳句を始め、蕪村の句を好んだという。他に「行水やほのかに白し蕎麦の花」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 0732013

 ぶつかって蝶が生まれる土俵かな

                           小倉喜郎

よいよ春場所が始まる。先場所は日馬富士が全勝優勝したが今場所はどうだろう。昔地方に住んでいて、毎日中入り前から相撲中継を見ていたときには一度本物の勝負を見てみたいものだと思っていた。東京にきてその気があればいつでも両国国技館へ行けるのになかなか腰が上がらない。実際見に行った人の話では張り切った力士の身体と身体のぶつかる音、組むうちにだんだん赤みを帯びてゆく肌の色など臨場感にあふれたものらしい。やっぱり何でもライブが一番。立ち会いのぶつかり合うその瞬間、火花ではなくひらひら紋白蝶など生まれる発想が奇想天外のようで説得力があるのは柔らかな力士の肉体がイメージとしてあるからか、など掲句を眺めながら考えている。『あおだもの木』(2012)所収。(三宅やよい)


March 0832013

 勝負せずして七十九年老の春

                           富安風生

、一度も「勝負!」と思ったこともしたこともなくて79歳に相成りましたという句。一高、東大法科を出て逓信省に入り、次官となって官僚の頂点に登りつめる。俳人としては虚子門の大幹部で「若葉」を創刊主宰そして芸術院会員だ。勝負してるじゃん。そんでちゃんと勝ってる。連戦連勝じゃんか。と思うのはこちらのひがみ根性。こういう人に限って勝負したという意識が無いんだな。自然体でなるべくしてなるところに落ち着いたんだと本人は思っていらっしゃる。あるいは、まあ可もなく不可もなくでございますくらいはおっしゃるのかもしれない。苦節何年とかいうのは歯を食いしばってるということだから勝負してるということ。風生さんには苦節の意識も無いんだと思います。あなたは風生を語るときにどうして彼の学歴とか社会的な地位とかを必ず言うのか、それは俳句の良し悪しと別のところで批評してることにならないかと問われたことがある。そうじゃないんだと僕は応える。風生俳句にはっきりと出ている余裕の風情、これは社会的な地位とも無縁ではない。そしてどこか俳句に対して「余技」の意識が感じられる。余技といってもいい加減に関っているという意味ではない。「たかが俳句、されど俳句」の両者の間合をよくわかっているということ。殊に主宰などと呼ばれる人には「されど俳句」の意識が強すぎてやたら肩に力が入ってる方がいらっしゃる。僕も気をつけなきゃ。どこかで「たかが俳句」の「謙虚」も大切なのだ。「別冊若葉の系譜・通巻一千号記念」(2012)所載。(今井 聖)


March 0932013

 さつきまでマラソンコース桃の花

                           峯尾文世

の花は古くから親しまれているが特に都会生活では、雛祭に花屋で買い求めてしばらく楽しむくらいで、梅や桜ほど身近な存在ではないだろう。しかし、ふっくらとしたその形や濃い花の色、なにより、もものはな、という音が、可愛らしく春らしい。華やかでありながらどことなく鄙びていると言われる桃の花、この花らしさはこれまで多く詠まれているが、掲出句の桃の花は新鮮な光を放っている。句集『街のさざなみ』(2012)のあとがきに「常に〈語らぬ俳句〉を心がけてまいりました」とあるが、一読して、あ、いいな、と感じさせる句が並ぶ中、即愛誦句となったのがこの句だった。春を呼ぶマラソン、は誰でも思うところだが、さっきまで、の一語が風景を生き生きと動かす。(今井肖子)


March 1032013

 春風や言葉が声になり消ゆる

                           池田澄子

集や歳時記から気に入った句を見つけると、俳句手帖に書き記すようにしています。今回、池田澄子さんの句集「拝復」(ふらんす堂・2011)を拝読しているうちに、すでに23句を書き写しています。これはまだまだ増えそうです。なぜ、池田さんの句を書き写しているのかというと、句が気持ちいいからです。池田さんの五七五には、世界を浄化する装置のようなはたらきがあり、それが気持ちよさの原因と思われます。ただし、単に清らかだということではありません。「いつか死ぬ必ず春が来るように」は、潔さがあります。「梅の宿けんけんをして靴箆(べら)へ」は、お茶目。「春眠のあぁぽかぽかという副詞」は、ぽかぽかです。これらの句の主体は、作者自身でありながら、読み手はそのまま主体の中に入れ替わることができる作りになっていて、句の中に入れます。これが、浄化作用の一因なのかもしれません。掲句についても、そのままを受け入れます。春風が吹く中で、人の言葉は意味を失って音声になり、春風という自然の中に消えていく。そういうことはありうることです。(小笠原高志)


March 1132013

 石楠花の蕾びつしり枯れにけり

                           照井 翠

色の花が咲く、いわゆる「アズマシャクナゲ」の蕾だろう。例年ならばそれこそ「びっしり」とついた蕾が春の到来を告げてくれるのだが、それが今年はことごとく枯れてしまっのだ。枯れたのは、今日でまる二年目になる福島の大津波のせいである。かつて見聞したこともない異常な光景だが、この異常は自然界にとどまるわけにはいかなかった。「気の狂(ふ)れし人笑ひゐる春の橋」。作者は釜石市で被災した。「死は免れましたが、地獄を見ました」と句集後記にあり、また「三・一一神はゐないかとても小さい」という極限状況のなかで、辛うじて正気を保つことができたのは、長年携わってきた俳句のお陰だとも……。ここで読者は少し明るい気持ちにもなれるのだが、昨今のマスコミが伝えている現在の福島の様子には、依然として厳しいものがある。何ひとつ動いていないと言ってもよいだろう。直接に被災はしていない私などが、机上から何を言っても空しいとは思うのだけれど、他方で何かを言わなければ気が済まない思いがむくむくと頭をもたげてくるのも正直なところだ。『龍宮』(2012)所収。(清水哲男)


March 1232013

 春昼の口のあかない貝ふたつ

                           滝本結女

の砂抜きは3%の食塩水に数時間浸しておく。密閉しない程度に蓋をして暗くしておく。夜中に砂抜きしているシジミに「ドレモコレモミンナクッテヤル」という鬼ババの笑いを浮かべた石垣りんは、おそらく暗闇のなかでシジミのうごめく様子に、わずかな戦慄を覚えたのだと思うが、個人的には、チューチュー音を立てたり、ぴゅっと水を吐いたり、にょろにょろと舌を出したり、固く閉まった貝たちがほどけていく様子を覗き見するのは時間を忘れるほど楽しい。掲句はその後の調理した貝の姿であろう。加熱後、口が開かないのは「元から死んでいた貝だから食べてはいけない」と教わったけれど、まるでこのふたつがぼんやり昼寝でもしているように見えてくる。作者も、すぐさま取り除くことはしないで、そのうち開くんじゃないか、とのんきに眺めている様子もある。春の昼餉のひとときは穏やかに過ぎていく。そうそう、あまりの可愛らしさにこちらも(^^)〈豚の子の白き睫毛に春来たり〉『松山ミクロン』(2013)所収。(土肥あき子)


March 1332013

 鍋釜を逆さに干せば春景色

                           清水哲男

ろんな「春景色」がある。目の付け方にもいろいろある。寒さからようやく解放されて、さまざまなものが活性化しはじめる春。そんなに激しくはなく、むしろやわらかな活性化と言ったほうがふさわしい。掲句に接して、すっかり忘れていた昔のある光景を思い出した。ーー春の昼下がり、食事が済んだあとの鍋釜を母が家の裏を流れている小川で洗って、お天気がいいから川べりの大きな石か何かの上に、逆さにして干しておくことがあった。そんな様子を目にして、いかにも春だなあと子ども心にもウキウキしていたものである。鍋釜でも食器でも、洗ったものは伏せて乾かす。農村暮らしも経験している哲男が詠んだのは、おそらくそれに近い景色だったかもしれない。庶民のつつましい生活が、天日に無造作に干してある鍋釜からも感じとることができる。その光景は庶民のしばしの平穏を語っているようでもある。掲句について、金子兜太は「軽い微笑みを誘い、春の麗らかな景色を引立てています。諧謔の持ち込み方がうまいですね」と評価している。哲男の鍋の句に「鍋底に豚肉淡く春の雨」がある。いずれも余計な力がこめられていないところに注目。『兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)


March 1432013

 鶴帰るとき置いてゆきハルシオン

                           金原まさ子

ルシオンは睡眠薬。ごく普通に処方される薬のようで海外旅行に行くとき、季節の変わり目などで寝つきが悪いときなど私も処方してもらった覚えがある。なんと言っても「ハルシオン」という音の響きの良さ、楽曲や芝居の題名のようだ。鶴の優雅さと白妙の羽の白さが睡眠薬の錠剤の色を連想させる。鶴が置いてゆくハルシオンは良く効きそうだ。西東三鬼の句に「アダリンが白き軍艦を白うせり」という句があるが、アダリンは芥川龍之介も用いていたらしい。昔の睡眠薬は強い副作用を伴ったようだが最近はだいぶ改良されたと聞く。それでも睡眠薬という言葉は不安定な心の在り方と「死」を連想させる。神経を持つ動物は必ず眠るというが、自然に眠れなくなるのは動物としての機能が阻害され、脳が覚醒してしまうことで、眠りを意識して不眠が昂じるとはやっかいなことだ。掲句には「うつせみの世は夢にすぎず/死とあらがいうるものはなし」とヴィヨンの「遺言詩集」の言葉が添えられている。『カルナヴァル』(2013)所収。(三宅やよい)


March 1532013

 田打ち花歩かされては牛買はれ

                           柴田百咲子

号ひゃくしょうしと読む。牛を市場で次々と歩かせて見せて値が付き買われていく。田打ち花は辛夷の花の俗称。田打ちの頃に咲くからということでついた呼び方だろう。この季語が活き活きとはたらいていることは田打ち花を「花辛夷」と置き換えてみるとよくわかる。「花辛夷歩かされては牛買はれ」。歩かされては買はれの「哀感」だけが強調されてツボどころを心得た巧みな句になる。花辛夷をうまく斡旋しましたねという感じ。言い換えれば巧みさだけが目立つ句。田打ち花とすることでその地に生きる実感が湧いて見えてくる。楸邨は歳時記を「死んだ言葉の陳列棚」と言った。陳列棚から選んできて句に嵌めこむという「操作」には、表現と自分とののっぴきならない関係が生じない。そのとき、その瞬間の自然に触れて得られた感動が表現の核になるべきだと。百咲子さんはまぎれもなく楸邨理念の実践者だ。「寒雷」(1972・9月号)所載。(今井 聖)


March 1632013

 合作の壁画振り向き卒業す

                           花田いつ枝

年もこの季節がやって来た。自分自身の卒業の思い出はあまりに遠く、ほとんど記憶にないが、最初に卒業生を送り出した時のことはさまざまな場面と共に記憶に刻まれている。初めての袴が意外と楽だったことから、読み上げる時唯一つっかかってしまった生徒の名前まで、おそらく一生忘れないが、〈卒業の涙はすぐに乾きけり〉(今橋眞理子)の明るさが、卒業という別れの本質だろう。掲出句、見送っている教師として読んでも、一緒に校門を出ようとしている家族として読んでも、合作の壁画は、つと振り向いたその子をはじめとする一人一人を育てた、悲喜こもごもの月日を象徴している。最後に振り向いて、あとはただ前を向いて進んでほしい、と願うのみ。『海亀』(2012)所収。(今井肖子)


March 1732013

 畝越えて初蝶ひかり放ちけり

                           佐藤博重

ンシロチョウ・モンキチョウ・スジグロシロチョウ・ウラギンシジミ・ムラサキシジミ・キタテハ・ベニシジミ。昆虫情報ブログでは、今年もすでに幾種類もの蝶が観測されています。越冬した個体と、この春に羽化した個体と両方あるそうです。寒さの中では、蝶は飛びません。とくに春先では、お日様が出ていて、風も強くない、うららかな日に限られます。掲句もたぶん。そんな春の日和でしょう。「畝(うね)越えて」が、この時季の蝶の様態をよく表しています。日差しを受けて温まった畝すれすれを選んで越えるのは、蝶の習性でしょう。畝の小高さが、ぬくもりのある空間を作っています。さて、蝶の種類は何か、これはわかりません。モンシロチョウが白い光を放っていることも想像できますし、ムラサキシジミが紫色の光彩を放っている姿も想像できます。いずれにしても、初蝶がひかりを放って畝を越える姿に、春の輝きをみてとれます。『初蝶』(梅里書房・2005)所収。(小笠原高志)


March 1832013

 強風や原発の底に竹の根

                           夏石番矢

どもの頃「地震のときは竹やぶに逃げろ」と教わった。関東大震災で怖い目に遭った母親からだったかもしれない。たしかに竹やぶのある土地は、竹の根が張り巡らされているので、少々の地震くらいではびくともしないように思える。しかしそれは表面に近い土地の部分について言えることであり、地下深くの竹の地下茎が腐って水を含み地盤沈下の原因になることが多いと言われている。つまり、竹やぶは決して地震に強いとは言えないわけだ。原発周辺の竹やぶをざわざわと揺さぶっている不気味な強風のなかで、作者はこの言い伝えを思い出したのだろう。そして原発の底に触れている無数の竹の根を想像している。一見頑丈そうなその環境が、実はそうではないと知っている作者は、とくに福島原発がダメージを受けた後だけに、不安な気持ちを押し隠すことができないでいる。この句を拡大解釈しておけば、すべての世の安全対策に対する疑念ないしは皮肉を提出しているということになるだろう。『ブラックカード』(2012)所収。(清水哲男)


March 1932013

 瞑ることなきマンボウの春の夢

                           坊城俊樹

袋サンシャイン水族館で生まれて初めて泳いでいるマンボウを見たときは、長蛇の列の末のパンダより大きな衝撃を受けた。なにしろその巨大な魚は生きものとしてどう見ても不自然なのである。胸から後ろがぷつりと切れているような姿で、泳ぐというよりただそこに居る。水流にまかせてぼーっとしているだけなら、尾びれなど必要ないと進化の段階であっさり手放したのだろうか。水槽にはビニールの内壁が作られており、それは硝子面に衝突して死に至るケースがあるというマンボウへの配慮であった。こんなぼんやりした生きものがよくもまぁこれほど大きくなるまで生き延びたものだと怪訝に思っていると、なんと三億という途方もない数の卵を生むのだという。ともかく多く生むことで種を保つという方針を選択したのだ。眠るでもなく、起きるでもなく、ひたすら海中を浮遊し、時折海面にぶかりと浮かんで海鳥とたわむれる彼らの生きかたは、たとえるなら春が永遠に続くようなものだろう。マンボウの身はまことにとらえどころなく、淡くうららかな夢のような味だという。〈絵踏してよりくれなゐの帯を解く〉〈肩車しては桜子桜人〉『日月星辰』(2013)所収。(土肥あき子)


March 2032013

 春暁の土をざくりと掘り起す

                           小田 実

は曙……と「枕草子」の冒頭にある。暁は曙よりも時間的には早い。「冬来たりなば春遠からじ」とか「春眠あかつきをおぼえず」といった言葉は、もうお馴染みである。東の空が白みはじめる早朝、畑に出て土を掘り起す(畑と限らなくてもいいが)、土の上に立った晴ればれとした気持ち良さを、たまらずズバリ詠んだものであろう。「ざくり」がいかにもダイナミックであり、春早朝のこころの健やかな気合いが感じられる。掲句は、小田実が黒田杏子に宛てた手紙に、自ら引用した少年時代の俳句である。亡くなる五カ月前に書かれたこの手紙は、杏子の『手紙歳時記』(2012)に引用されている。「実を言うと、昔、少年時代、「俳句少年」でした。短歌は性に合わず、俳句をつくっていました。からだが大きかったので、まだ中学生なのに、大学生になりすまして、大人達の吟行に参加したこともありました」とある。「短歌は性に合わず」は頷けるけれど、彼が「俳句少年」だったことは、あまり知られていないのではあるまいか。小田実を悼んだ杏子の句に「夏終る柩に睡る大男」がある。(八木忠栄)


March 2132013

 春昼や魔法の利かぬ魔法壜

                           安住 敦

法壜とは懐かしい言葉だ。「タイガー魔法瓶」などは会社の正式名に入っているところはともかくも日常生活で魔法壜という言葉にお目にかかる機会はほとんどない。今は「瓶」と「壜」の漢字の使い分けに正確な違いはないようだが、ガラスとの連想で言うなら「曇る」という字を含んだ「壜」がより好ましく感じられる。湯沸かしポットが登場して以来卓上に置いてあった魔法壜は姿を消してしまった。昔の魔法壜は内側がガラスで割れやすく、遠足で友達の魔法壜仕様の水筒を落として割ってしまった苦い思い出がある。昭和30年代当時は小学生が持つ水筒としては高級品だった。お湯が長い間冷めないからと「魔法壜」なんだろうが掲句の魔法壜はすぐお湯が冷めてしまうのか?リフレインを含んだ言回しと、ちょっと間延びしたなまぬるい春昼の雰囲気とがよく馴染んでいる。「日本大歳時記」(1983)所載。(三宅やよい)


March 2232013

 櫻のはなし採寸のあひだぢう

                           田中裕明

明な句で日常詠である。「もの」の写生ではなくて事柄のカット。採寸の場には、採寸する人とされる人と二人しかいない可能性が高いのだからその両者の会話だろう。作者がその会話を聞いていたのではないとするなら、作者はされる側の人である。吊るしを買わずオーダーの服であるから懐に多少の余裕のある状況もわかる。僕は昔ブティックで働いていたので採寸をする人であった。採寸をする側は客の話題におあいそをいう。機嫌をそこねないように話を合わせるのである。採寸をする側とされる側の櫻のはなしから両者の立場や生活が次第に浮き彫りになっていく。人間社会を描くとあらゆる角度からその人間に近づく工夫ができる。自然も面白いけど人間はもっと面白い。『セレクション俳人・田中裕明集』(2003)所収。(今井 聖)


March 2332013

 ピーちゃんを埋むる穴に椿敷く

                           箭内 忍

が家の庭の片隅にも、ハムスターのチップと金魚のキンキラが眠っていた。三年前に建て替える時は、神主さんにお願いしてその辺りを入念に祓っていただいたが、そっとのぞいても何も見あたらなく、ほっとしたようなさびしいような、そんな思いがした。チップを埋葬した時は、小学生だった姪が、好物だけどたくさんやってはだめと言われていたひまわりの種を敷いてやった、掲出句と比べるとずいぶん現実的だ。椿は庭の片隅にありその下は仄暗く、あたり一面に花が落ちていたのだろう。ふれるとやわらかいその花を冷たい土の上に敷き詰めて、そっとピーちゃんを寝かせてやる。白い文鳥なら花の紅が引き立ち、花が白ならばなお清らかだ。まだ寒さの残る今頃になると、この句と共にピーちゃんを思う作者なのだろう。『シエスタ』(2008)所収。(今井肖子)


March 2432013

 山笑ふ着きて早々みやげ買ひ

                           荻原正三

るい春の旅の句です。着いて早々、ご当地土産を買い求め、すこしはしゃいでいる姿を、葉が出始めた山も迎え入れてくれています。句集では、「春風や頬にほんのり昼の酒」と続き、読むこちら側も、おだやかな春の旅の気分をわかち合えます。ところで、句集の跋文を書かれている岬雪夫氏によると、掲句が作られる十年前、荻原さんは難病に遭い、長期にわたる闘病生活を余儀なく過ごされていたそうです。そのとき、看病の枕元で奥さまが読んでいる俳誌を覗くようになり、入院、再入院の生活の中で句作を始められたとのこと。その頃の句に「行くところ他にはなくて蝸牛(かたつむり)」があります。そういう作者の背景を知ったうえで掲句を読むと、ほんとうに、山が笑っているのだと思えてきます。掲句は「平成十八年、四国高知にて」とあり、この旅で奥さまの八重子さんは、「酒酌めば龍馬のはなし初鰹」を残しています。掲句と並べると脇にもなり、連句のように楽しさが広がります。『花篝』(2009・ふらんす堂)所収。(小笠原高志)


March 2532013

 ホームランあのすかんぽを越ゆるべし

                           上久保忠彦

んだ途端に、子どものころの田んぼ野球を思い出した。グラウンドなどという洒落た土地ではなく、稲の切り株が残ったままの田んぼで野球をやっていた。だから、どこまで飛んだらホームランかなどと、お互いに取り決めてからゲームに入る。作者が田んぼ野球をやっているかどうかはわからないが、いずれにしても立派なグラウンドじゃない。ホームベースからかなり離れたところに、スカンポが群生しているので、そこまで飛んだらホームランと決めていたのだろう。打席に立って、「あのすかんぽを越ゆるべし」と勇み立つ気持ちはよくわかる。すかんぽは「酸葉(すいば)」とも言い、紅紫色の茎を剥いてしゃぶると酸っぱい味がする。このどこにでもある植物を知らない人が増えてきたが、もはや酸葉をしゃぶるような時代ではないから止むを得ないか……。味の切れ目が縁の切れ目ということだ。さて甲子園の選抜がはじまり、プロ野球の開幕ももうすぐだ。球春到来のこの時期に、しかし私たちの田んぼ野球のシーズンは閉幕するのが常だった。田植えの時期が迫った田んぼは、野球遊びどころではなくなるからである。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


March 2632013

 花人となりきれぬまま戻りけり

                           今井肖子

年は例年より早い開花となり、東京の桜もたちまち盛りとなった。花人(はなびと)とは、桜を愛でる人のことだ。咲き初めから、花が散ったのちの桜蕊が落ちるまで、歳時記は桜を追い続ける。桜の美しさに身も心もゆだねることができて、初めて花人といえるのだろう。掲句は花見の宴の帰りなのか、また満開の桜並木を通り抜けた時の心持ちだろうか。中七の「なりきれぬまま」で、読者は花人の境地に至らなかった原因に思いを馳せる。桜は時折、妙に生きものめいた感触を放つ。一途に咲く様子は見る者の身をすくませ、魅入られることに躊躇を感じさせる。咲き競う勢いのなかで、取り残されたような心細さも覚えるものだ。花人となる機会に恵まれながら、ただごとならない美のなかで、惑わされることを拒んでしまった作者の心に今わずかな後悔も生まれている。〈その幹に溜めし力がすべて花〉〈花も亦月を照らしてをりにけり〉『花もまた』(2013)所収。(土肥あき子)


March 2732013

 春潮や渚に置きし乳母車

                           岸田劉生

もとにある歳時記には、「春潮(しゆんてう)」は「あたたかい藍色の海の水。たのしくゆたかな、喜びの思いがある」と説明されている。陽気が良くなり、春の海の表情もようやく息を吹き返して、どこかしらやわらいでくる。暖かさあふれる渚に置かれた乳母車にやわらかい陽がこぼれ、乗っている赤ん坊も機嫌良くねむっているようにさえ感じられる。穏やかな春のひとときである。橋本多佳子の名句「乳母車夏の怒濤によこむきに」とは対照的な世界と言える。劉生は言うまでもなく「麗子像」でよく知られた画家だが、詩や俳句、小説までも残している。「五、七、五、七、七などの調子の束縛はそれ自身が一つの美を出す用材になる。手段になる。ここでは縛られることが生かされる事になる」と書いている。俳句においても、「縛られること…云々」には私も同感である。鵠沼、京都などに住んだ後、鎌倉に転居してから掲句や「大仏へ一すじ道や風かほる」が「ホトトギス」「雲母」などに入選している。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 2832013

 もう春の月と呼んでもいい親しさ

                           中西ひろ美

晩、犬の散歩で東の空を見上げる。冬の月は寒々とした空に鋭く光って、冴え冴えとしており峻厳と言った形容が似合う。その月がぼんやりと湿気を帯びた空気に黄色味が強くなり雪洞のような温かみが感じられるようになるとコートを脱いで身軽に歩ける春の夜の訪れである。「外にも出よ触るるばかりに春の月」の中村汀女の句が懐かしく思い出される。3月に入って、昼は初夏のような陽射し照らされ、夜は冬の寒さに震えたりとジェットコースターのような気温の変化に悩まされている。今か今かと開花準備をしていた桜もさぞとまどったことだろう。この頃は着膨れないで犬の散歩に出かけられるようになった。今宵は満月、やさしい春の月が浮かぶ空を見上げながら掲句をほろりと呟いてみたい。『haikainokuni@』(2013)所収。(三宅やよい)


March 2932013

 天皇も老斑もたす桜かな

                           田川飛旅子

初読んだときはなんて世間的常識に乗った句だろうと思ったのだった。周知のごとく天皇は敗戦までは「現人神」であられた。負けたら「人間」になられた。その「常識」を踏まえて人間なんだから老斑も持たれるのだと詠んだ。俗臭ぷんぷんの述懐だなあと。最近はこの句が違ってみえてきた。田川さんは大正3年生まれ。昭和15年に応召。海軍大尉に昇進後、海軍少将橋本信太郎の娘信子さんを娶る。その義父は戦隊司令官として重巡羽黒に乗艦しペナン沖にて戦死。田川さんは職業軍人ではなかったが、軍幹部に見込まれた軍国日本のエリートの立場でもあった。そういう世代や立場の人にとって「天皇」という存在がどのように「現人神」であったかということについては戦後生まれの人間の理解と想像を超えるところがある。田川さんは東大出だが、当時の知識人としてそういう「常識」といかに折り合いをつけていたのだろうか。兵は死に瀕したとき天皇陛下万歳ではなく「お母さん」と叫んだというのも「戦後民主主義」によってつくられた意図的な「俗説」臭い。お母さんではなくて「天皇陛下万歳」と心から叫んだ兵も多かったはずである。それは軍国教育による悲劇(喜劇)と言ってしまっていいのか。「天皇の老斑」の問題は今も終わっていないように思える。『邯鄲』(1975)所収。(今井 聖)


March 3032013

 山ざくら一樹一樹の夕日かな

                           細見綾子

冷の東京、今週中には雨の予報も出ているので、土曜日には花も終わっているだろうな、と思いながら書いている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)は、梅に始まり、椿、桜、と続く。桜の句は、初花から残花まで数百句、その中に静かに掲出句があった。昨年の吉野山、初めて出会った満開の山桜を思い出す。まさに一樹一樹、少しずつ違う花の色と木の芽のうすみどりが、山を覆い花の谷となって重なり合っていた。仄白い花に映る夕日、紅の兆す花を照らす夕日、彩を織りなす花の山々の彼方にやがて日は落ちて、また新しい花の朝を迎える。夕日を見つめながら、今日の桜を心に刻んでいる作者なのである。(今井肖子)


March 3132013

 休日を覆ひ尽くしてゐる桜

                           今井肖子

開の桜並木の全体を、構図の中に納め切っています。花の下にいる休日の人々は花に覆い尽くされ、俯瞰した視点からは桜ばかり。一句は、屏風絵のような大作になっています。「桜」を修飾している四文節のうち三文節が動詞で、意味上の主語である「桜」は、「覆ひ+尽くして+ゐる」という過剰な動詞によって、大きく、絢爛に、根を張ることができています。なるほど、桜を描くには形容詞では負けてしまう、動詞でなければ太刀打ちできない名詞であったのかと気づかされました。句集には、掲句同様、率直かつ大胆な構図の「海の上に大きく消ゆる花火かな」があります。蕪村展、ユトリロ展、スーラ展、探幽展からモチーフを得た句も並び、中でも前書きにモネ展の「春光やモネの描きし水動く」は、睡蓮の光を見つめるモネの眼遣いを追慕しているように読み取れます。こういうところに、作者の絵心が養われているゆえんがあるのでしょう。『花もまた』(2013)所収。(小笠原高志)




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