東京早朝に雪の予報。雪はカンベンしてほしいがお湿りは欲しいな。(哲




2013ソスN2ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2722013

 坐りだこ囲炉裏に痛し稗の飯

                           高村光太郎

襲で家を焼かれ、敗戦直前から花巻近郊の山小屋で、敢えて孤愁の日々を過ごした光太郎の暮らしぶりを偲ばせる句である。「独居自炊孤坐黙念」の七年間を送ったという。今日の一部文人たちによる「山小屋へ出かけてのくらし/仕事」とはワケがちがう。「ペンだこ」ではなく「坐りだこ」が、山での暮らしぶりと詩人の決意のほどを物語っている。小屋に坐りつづけている暮らしだから、「坐りだこ」が囲炉裏の板の間ではきつくこたえる。しかも鍋で煮て食べるのは白米ではなく、稗の飯である。稗や粟も忘れられつつある昨今。オーバーな表現というわけではない。骨太の男が黙念と囲炉裏の板の間に坐って稗の飯を食べる、その寒々しさ。戦争協力詩を書いた光太郎にとって、それはつくづくニッポンの寒々しさであり、痛さそのものであったと思われる。「焼け残った父光雲譲りの道具で囲炉裏を切り、煮炊、夜は炬燵にして寒さをしのいだ。電気、水道のない生活」(内藤好之)だった。光太郎が残した俳句は六十余句だと言われるが、「短詩形のもつ一種独特な詩的表現は、小生自身の詩作に多くの要素を与へてくれます」と中村草田男への手紙に書いている。他に「百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


February 2622013

 一所懸命紅梅も白梅も

                           西嶋あさ子

HK放送文化研究所によると、「一所懸命」は武士が賜った「一か所」の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたことに由来した言葉で、これが転じて「物事を命がけでやる」という意味となったという。そのうち文字のほうも、命がけで守り通すことから、一生をかけての意味を強め「一生懸命」とも書かれるようになったようだ。今では「一生懸命」と表記・表現される場合が多くなり、多くの新聞や雑誌、放送用語で統一して使用されているという。しかし、掲句を見ると、やはり「一所」でなければならないことが確かにあると思う。ひとところを死守するのは、人間も植物も同じである。毎年同じ場所で、同じ枝からほつりほつりとほころび始める。梅の花がことにつぶらで健気に感じられるのは、冴え返る清冽な空気によるものだろう。一所懸命という音には、凛々しさとともに、痛々しいような切なさもどこかに感じられる。身を切る空気のなかで咲く梅のもつ不憫さも、この言葉は抱えているのである。〈光かと見えて燕の来たりけり〉〈蝌蚪の紐こはごは覗く確と見る〉『的礫』(2013)所収。(土肥あき子)


February 2522013

 パリパリの私のきもち春キャベツ

                           紀本直美

が来た喜びを、新鮮でパリパリの春キャベツに託している。なんのけれん味もなく、天真爛漫に詠まれたこの句を読むと、こちらまでが愉快な心持ちになってくる。春を迎えた気分は、こうでなくてはいけない。でも、私には違う気分の春もあった。昭和三十三年、大学に入学して宇治に下宿したてのころである。当時の宇治は観光名所ではあったけれど、町には一軒の喫茶店もなく、適当な飲み屋もなかった。昼間は修学旅行生でにぎわうが、夜になれば急に森閑としてしまう。そんな夜に、友人になったばかりの詩人・佃學(故人)とよく飲みに行ったのが、宇治橋のたもとに出ていた屋台であった。そこで安酒をあおりながら、いつも食べていたのが春キャベツだったのだ。べつに風流心からじゃない。その屋台では、キャベツだけはいくら注文してもタダだったからという情けない理由による。佃も私も、相当に鬱屈していた。青春に特有の世間への反発心がそうさせていたのだろう。パリパリとキャベツを噛みながら、暗い宇治川の川面をめがけて、それが口癖だった佃の「くそ喰らえっ」という咆哮を、つい昨日のことのように思い出す。『さくらさくさくらミルフィーユ』(2013)所収。(清水哲男)




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