February 2522013

 パリパリの私のきもち春キャベツ

                           紀本直美

が来た喜びを、新鮮でパリパリの春キャベツに託している。なんのけれん味もなく、天真爛漫に詠まれたこの句を読むと、こちらまでが愉快な心持ちになってくる。春を迎えた気分は、こうでなくてはいけない。でも、私には違う気分の春もあった。昭和三十三年、大学に入学して宇治に下宿したてのころである。当時の宇治は観光名所ではあったけれど、町には一軒の喫茶店もなく、適当な飲み屋もなかった。昼間は修学旅行生でにぎわうが、夜になれば急に森閑としてしまう。そんな夜に、友人になったばかりの詩人・佃學(故人)とよく飲みに行ったのが、宇治橋のたもとに出ていた屋台であった。そこで安酒をあおりながら、いつも食べていたのが春キャベツだったのだ。べつに風流心からじゃない。その屋台では、キャベツだけはいくら注文してもタダだったからという情けない理由による。佃も私も、相当に鬱屈していた。青春に特有の世間への反発心がそうさせていたのだろう。パリパリとキャベツを噛みながら、暗い宇治川の川面をめがけて、それが口癖だった佃の「くそ喰らえっ」という咆哮を、つい昨日のことのように思い出す。『さくらさくさくらミルフィーユ』(2013)所収。(清水哲男)


February 2422013

 暮雪飛び風鳴りやがて春の月

                           水原秋桜子

書に、「八王子は天候の急変すること多し」とあります。作者は、昭和二十年の東京空襲で自宅・病院・学校を焼失し、八王子市中野に転居。掲句は、昭和二十四年の作です。八王子は、東京から内陸へ約40km、奥多摩山地のふもとで、東側は平地、西側は盆地のような地形ですから、都心とは気温・気候は違って、冬は3℃くらい低く、夏は3℃くらい暑い内陸型の気候で、前書のとおり、たしかに天候が急変することの多い土地です。関東地方は、立春を過ぎてから一度まとまった雪が降って、それからようやく春を迎えることが多く、これはたぶん、西風から東風に切り変わる時の現象でしょう。ですから掲句は、春一番ならぬ春を告げる暴風雪。暮れ時から夜にかけて、街の色彩がモノクロの闇へと移り変わる中、雪の白が斜めにドローイングしているようです。また、「ボセツ・トビ・カゼ」と濁音が連なり、吹雪を音標化しています。五七五は、動・動・静へと納まって、春の月は澄み、清らかです。昭和二十四年の心持ちとして読むのは方向違いでしょうが、叙景そのものから、人と時代の背景を推測する寄り道も、俳句には許されているように思われます。以下蛇足。森進一さんに歌っていただきたい句です。森進一さんの声は、吹雪、風鳴り、しぶきの声です。森進一さんの声を聴くとき、その濁音は、じかに鼓膜をふるわせます。尺八のむら息もそうですが、日本の耳は、噪音を求めているところがあります。「水原秋桜子集」(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)


February 2322013

 白梅に立ち紅梅を見て居りぬ

                           上迫しな女

年は梅が遅いという。近所の梅園は先週の日曜日で二三分咲きだったが植木市も立って、人がずいぶん出ていた。毎年のことだがまだまだ寒く、じっと佇んでいたりお弁当を広げたりしている人はあまりいないが、焼きそばや甘酒はよく売れていて、屋台の前のテーブルは満席。その真ん中にほぼ満開の紅梅がひょろりと立っていたが、見上げる人もほとんどなく香りも焼きそばにかき消され、なんだか気の毒だった。掲出句の紅梅は梅園の隅にくっきりと濡れたように立つ濃紅梅だろうか、遠くからそれをじっと見ている作者である。青みがかったり黄みがかったり、さまざまにほころんでいる白梅の近景と一点の紅梅の遠景が、一句に奥行きを与えると同時に、梅見らしいそぞろあるきの感じを醸し出している。『旅の草笛』(2001)所収。(今井肖子)




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