偽隕石にご注意、ネット販売出回る。ったく、すばしこい奴らだ。(哲




2013ソスN2ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2022013

 肉マンを転んでつぶす二月かな

                           井川博年

い日にせっかく買ったアツアツの肉マンを「転んでつぶす」とは、なんてマン(間)がいいんでしょ、と我が友人ゆえに揶揄したくもなる句だ。余白句会の創立(1990年9月)メンバーでありながら、俳句が上達することに必死で抵抗しているとしか思われない(?)博年(俳号:騒々子)が、1992年2月の余白句会で席題「二月」で珍しく〈天〉を獲得した句である。作者会心の作らしく、本人がうるさく引き合いに出す句である。通常、俳句は年月かけて精進すれば、良くも悪くもたいていはうまくなってしまうように思われる。いや、その「うまく」が曲者なのだけれど、博年は懸命に「うまく」に抵抗しているのではなかろうか? 今も。えらい! 掲句は長い冬場のちょいとした意外性と他愛ないユーモアが、句会で受け入れられたかも。俳人はこういう句は決して作らないだろう。ちなみに博年の好物は鰻(外で食べる鰻重か鰻丼)だそうである。逆に大嫌いなものは漬物。どうやら、松江のお坊っちゃまで育ったようだ。同じ日の句会で「蛇出でて女人の墓に憩いける」が、なぜか〈人〉に選ばれている。蛇足として、博年を詠んだ拙句をここに付します。「句会果て井川博年そぞろ寒」。「OLD STATION」15号(2012)所収。(八木忠栄)


February 1922013

 子猫あそばせ漱石の眠る墓

                           村上 護

所の野良猫たちも朝な夕なに恋の声をあげる。じきに子猫の声も混じることだろう。恋のシーズンの恋猫からお腹の大きい孕猫、さらには子猫まで、くまなく季語になっている動物は他にいない。これは猫好きの人間が多いというより、猫が人間の日常への食い込み具合を物語るものだろう。夏目漱石は雑司が谷墓地に眠る。日当りの良い、猫には居心地のよさそうな場所だ。漱石の墓石は大きすぎて下品と苦言するむきもあるが、漱石の一周忌に合わせ妹婿が製作したという墓石は、鏡子夫人の『漱石の思ひ出』によると「何でも西洋の墓でもなし日本の墓でもない、譬へば安楽椅子にでもかけたといつた形の墓をこさへようといふので、まかせ切りにしておきますと、出来上つたのが今のお墓でございます」とある通り、確かに周囲に異彩を放つ。しかし、自然石でもなく、四角四面でもない墓石は、お洒落な漱石にぴったりだと思う。肘掛け椅子のようなやわらかなフォームには幾匹も猫が収まりそうなおっとりとした大らかさがある。とはいえ、大の猫嫌いだったといわれる鏡子夫人は、この墓石のかたちにしたことを多少後悔しているかもしれない。〈ひと枡に一字一字や目借時〉〈四方(よも)見ゆる其中つれづれ日永かな〉『其中つれづれ』(2012)所収。(土肥あき子)


February 1822013

 乗り継いで鴬餅は膝の上

                           小田玲子

物用に「鴬餅」を求めた。近畿地方の名物である。乱雑に扱えば、せっかくの美しい鴬餅が、箱の中で偏ったり形が崩れたりしてしまう。だから乗り継ぐ度に、丁寧に膝の上に置いておくのだ。この行為だけをとれば、日常的に誰もがやっていることであり、特別に珍重すべきことではない。しかし、作者があえてこうして俳句に詠んだのは、このときのこの行為に、言外の思いをこめたかったがためだろう。つまり、これから訪ねていく先の相手に対する緊張感のほどを、平凡な行為に託したかったということだ。そのことによって、なんでもない日常的な行為が、作者にとっては特別な意味があることを、さりげなく読者にささやくかたちで告げようとしている。けれん味の無い詠みぶりだけに、読者にもその思いが抵抗感なく伝わってくる。日常を日常として詠むことにより、人生のある断面がすうっと濃く浮かび上がってくる。俳句の面白さの一つが、ここにある。『表の木』(2012)所収。(清水哲男)




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