東京初雪。もっと風流をわきまえて降ってくれたらよかったのに。(哲




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January 1512013

 一つ足し影の枝垂るる繭飾り

                           榎本好宏

日1月15日は小正月。15日というと一月も半分も過ぎてしまったという焦燥を募らせる頃だが、元日の大正月に対して小正月は古くから豊作を占う行事など華やかに行われる日だった。掲句の繭飾りもそのひとつで、木の枝に繭の形に丸めた餅を吊るして五穀豊穣を願う。地域により使う木もさまざまで、餅以外にも縁起物などにぎやかに装飾する場所もあるが、おそらく掲句は、柳や水木など、しなやかな枝にごくシンプルに飾り付けられているものだろう。明るい冬の日が差し込む座敷で、耳たぶほどのやわらかさにこねた団子をひとつずつ丸めては、枝に付ける。ひとつ加えるごとに、まるで稲穂が実るように枝垂れていく繭玉の漆黒の影が冴え冴えと畳に伸びる。五穀豊穣。古来から人々が願ってやまなかった祈りの言葉のなんと美しいことだろう。この繭飾りに付けた餅は、その夜、お飾りを焼く左義長の火であぶって食べると、一年風邪をひかないといわれ、子どもたちの遊びに還元される。生活の祈りは、どれも楽しみと手を取り合って、人々の生活に根付いていた。〈注連縄の灰となりけり結び目も〉〈餅間といふ月の夜の続きけり〉『知覧』(2012)所収。(土肥あき子)


January 1412013

 華美ひと色に成人式の子女あはれ

                           相馬遷子

席はしなかったが、私のころの成人式は戦後もまだ十数年の時期で、およそ「華美」とはほど遠かった。それが十年も経つと、東京オリンピックも過ぎ、この句のような様相を呈してきたのだった。俳句はまた風俗史の役割をもっていることが、よくわかる。キーワードは、むろん「あはれ」だ。現今と同じように、とりわけて女性の和装姿が華美になり、その華美にうっとりしているような女性の姿は好ましいが、一方ではあまりの無邪気さに危うさも感じられる。これからの長い人生には山あり谷ありで、決して無邪気に二十歳を受けとめてはいけないのにと、余計なお世話ながら作者ははらはらしている。人生の節目ごとに、こうやって人は流されていくのかという思いもわいてくる。こうした思いは、「あはれ」という厚みのある日本語でないと表現できないだろう。『雪嶺』(1969)所収。(清水哲男)


January 1312013

 立膝の妻の爪切る女正月

                           薗田よしみ

正月は、小正月ともいい、女たちが、家事の一切から解放される習わしがありました。かつて、ガスコンロも水道の蛇口もなかった時代の正月は、来客をもてなすこともたいへんで、松飾を取り、鏡開きを終えた十五日頃になって、女たちはようやくひと息つけたわけです。掲句にはその気分があります。一読して、谷崎潤一郎のようなフェミニストの作かと思いましたが、作者は女性と知り、これを女性から男性たちへの一提言として読んでみますと、私なんぞはせめて 年に一度、妻の足指の爪を爪切りで切ってあげるべきだなあと、素直に賛同致します。妻が立膝をついて上方にすわり、夫はそのお御足を下方でお手入れするこの逆転の構図がおかしく、同時に、春琴と佐助の関係のような、ぞくりとするものもあります。ところで、日本には三種類の暦があります。現在使っている太陽暦(新暦)。明治六年以前まで使っていた太陰暦(旧暦)。そして、太陰暦が中国から入って来る前にあった太古の暦です。女正月は、この太古の暦の正月で、年の始まりも月の始まりの一日も、満月から始まっていました。無文字社会の古代カレンダーは、月の満ち欠けでした。「現代俳句歳時記・新年」(2004・学研)所載。(小笠原高志)




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