全国的に天気は荒れ模様のようだ。成人式の和服は辛いかも。(哲




2013ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412013

 華美ひと色に成人式の子女あはれ

                           相馬遷子

席はしなかったが、私のころの成人式は戦後もまだ十数年の時期で、およそ「華美」とはほど遠かった。それが十年も経つと、東京オリンピックも過ぎ、この句のような様相を呈してきたのだった。俳句はまた風俗史の役割をもっていることが、よくわかる。キーワードは、むろん「あはれ」だ。現今と同じように、とりわけて女性の和装姿が華美になり、その華美にうっとりしているような女性の姿は好ましいが、一方ではあまりの無邪気さに危うさも感じられる。これからの長い人生には山あり谷ありで、決して無邪気に二十歳を受けとめてはいけないのにと、余計なお世話ながら作者ははらはらしている。人生の節目ごとに、こうやって人は流されていくのかという思いもわいてくる。こうした思いは、「あはれ」という厚みのある日本語でないと表現できないだろう。『雪嶺』(1969)所収。(清水哲男)


January 1312013

 立膝の妻の爪切る女正月

                           薗田よしみ

正月は、小正月ともいい、女たちが、家事の一切から解放される習わしがありました。かつて、ガスコンロも水道の蛇口もなかった時代の正月は、来客をもてなすこともたいへんで、松飾を取り、鏡開きを終えた十五日頃になって、女たちはようやくひと息つけたわけです。掲句にはその気分があります。一読して、谷崎潤一郎のようなフェミニストの作かと思いましたが、作者は女性と知り、これを女性から男性たちへの一提言として読んでみますと、私なんぞはせめて 年に一度、妻の足指の爪を爪切りで切ってあげるべきだなあと、素直に賛同致します。妻が立膝をついて上方にすわり、夫はそのお御足を下方でお手入れするこの逆転の構図がおかしく、同時に、春琴と佐助の関係のような、ぞくりとするものもあります。ところで、日本には三種類の暦があります。現在使っている太陽暦(新暦)。明治六年以前まで使っていた太陰暦(旧暦)。そして、太陰暦が中国から入って来る前にあった太古の暦です。女正月は、この太古の暦の正月で、年の始まりも月の始まりの一日も、満月から始まっていました。無文字社会の古代カレンダーは、月の満ち欠けでした。「現代俳句歳時記・新年」(2004・学研)所載。(小笠原高志)


January 1212013

 大空に月ぶら下がり雲凍てぬ

                           池上浩山人

そらく半月と動かない凍雲、冴え冴えとした景である。凍つる雲と、その雲を照らすほどではない寒々とした月、その二つが一対の景をなして広々とした真冬の空と大気を感じさせている。儒子を父に持ち儒学にも明るかった作者であると知ると、中七から下五にかけて確かに漢詩的な印象だ。また、ぶら下がる、という表現は、伝統的な美と格調を重んじたという作風とはやや違っているようにも思えるが、古書修理の職人であった作者の、まさに見たまま感じたままの言葉であり、滲むことも強く光ることもない冬の半月の形のありのままを表していると言える。今日は今年最初の新月、先週末の真夜中に見た半月を思い出している。『新日本大歳時記 冬』(1999・講談社)所載。(今井肖子)




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