東京新聞夕刊の犬塚弘、クレイジー・キャッツの思い出が面白い。(哲




2013N111句(前日までの二句を含む)

January 1112013

 寒燈の一隅を占め塑像の掌

                           黒田櫻の園

の園は金沢在住の俳人。戦後澤木欣一らと「風」を創刊。「馬酔木」の主要同人としても活躍した。この作句時は39歳。安東次男に次いで寒雷集の次巻頭を占めている。「寒雷」創刊からまだ三年、楸邨の出自である「馬酔木」から多くの若い俊英が投句していたことがうかがえる。前書きに「H氏アトリエ一句」。櫻の園は大学の歯学部を出たが、絵画、焼物の絵付、加賀友禅の絵柄などの製作デザイナーとしてその名を知られた。専門以外の分野に異才を放ったその後の傾向がこの句にも出ている。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)


January 1012013

 目が見えて耳が聞こえて冬の森

                           山田露結

が多いのが森、森より木が少ないのが林。と小学校のときに漢字を習ったときに教わった覚えがある。本当のところはどうなのだろう。夏の間あんなにも生い茂っていた葉をすっかり落としてしまった冬の森、青空もあらわに、遠くの音もすぐ近くに聞こえる気がする。冬の澄み切った大気に五感も研ぎ澄まされ、自分の目が見えて、耳が聞こえることが今更のように意識される。目が見えて、耳が聞こえる主体は勿論人間である自分なのだろうが、森それ自体が耳をすまし目を見開いているようだ。冬の森と「わたし」の感受性が共鳴しているのだろう。森の中には冷たい大気のように腹を空かせた猛禽類もいて聞き耳をたてているかもしれない。と勝手な想像はどんどん膨らんでゆく。「歩道橋より氷海を見下ろせる」「あゝこれも中古(ちゅうぶる)の夢瀧涸るる」『ホームスイートホーム』(2012)所収。(三宅やよい)


January 0912013

 日の暮れて羽子板をはむ犬のあり

                           草野心平

子板市は十二月だが、羽子板は新年のもの。もともと「胡鬼(こぎ)板」と呼ばれていたものが、室町時代から羽子板と呼ばれるようになったという。おもしろいことに、羽根をつくのは幼児が蚊に食われないためのおまじないだったそうだ。江戸期から役者の押し絵を貼った高価なものが出まわるようになった。雪国の子どもだった私などにとって、正月の羽根つきやコマ回し、凧あげなどはとても信じられない絵空ごとだった。一日中、羽根つきで遊んでいた子どもも、日暮れ時にはさすがにくたびれ飽いて家に帰ってしまったのだろうか。庭か空地に置いたままになっている羽子板に、犬が寄ってきて舐めたりかじったりして戯れている光景。それを心平はきっと、正月の酒に昼からほろ酔いの状態で見るともなく見て、微笑んでいるのだろう。酔ったときの心平さんのうれしげな表情が見えるようだ。才人だった心平に意外や俳句は少ないようで、『文人俳句歳時記』(1969)にはこの一句しか収録されていない。木山捷平の句に「誰かいな羽子板が生垣においてある」がある。詩人の俳句はいずれもさりげないというか、気負いがない。「羽子板の役者の顔はみな長し」(青邨)。なるほど。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます